京都の山の麓で本と過ごす。「鈍考/喫茶 芳」を訪ねる旅。

簡単に行きづらい場所というのは、逆に言えばいろいろなルートを選択する楽しみがある場所でもある。今回の旅の目的地へは、京都駅から公共機関を使って大体1時間。バスと電車でのんびりと、街並みと景色を眺めつつ。この道程が、すでに始まり。

程よい静けさと極上の珈琲。理想の読書体験ができる場所へ。


比叡山の麓の閑静な住宅地にある、白壁に瓦屋根の美しい一軒家。ブックディレクターの幅允孝さんと妻のファンさんが営む「鈍考/喫茶 芳」にやってきた。幅さんといえば、2000年代初期から全国各地のライブラリー制作や書店のディレクションなどを手掛ける、筋金入りの選書とライブラリーディレクションのプロ。そしてここはその幅さんがプライベートで所有する、およそ3,000冊の本を自由に読むことができる完全予約制の私設図書館なのだ。
「これは自分が二度読むだろうな、とか手放せないというものを集めた感じですね」(幅さん、以下「」内同)
正面玄関側からの外観。左官で仕上げた漆喰壁がまるで蔵のよう。窓がないため中の様子が全くわからないところがまたそそる。ゆるやかな階段は、訪れる人みんなに優しい。建築設計は〈堀部安嗣建築事務所〉の堀部安嗣氏。
正面玄関側からの外観。左官で仕上げた漆喰壁がまるで蔵のよう。窓がないため中の様子が全くわからないところがまたそそる。ゆるやかな階段は、訪れる人みんなに優しい。建築設計は〈堀部安嗣建築事務所〉の堀部安嗣氏。
中に入ると「わあっ」と声が出てしまう。まず、窓の向こうに広がる深い緑の世界が素晴らしいのだ。床はすべすべの木と畳。縁側で景色に包まれながら本を読んでも、畳の上に寝そべって本を読んでも、カウンターに座って本を読んでもいい。なんて気持ちのいい場所なんだろう。

一回の入室時間は90分、定員は6名まで。どう過ごすも基本的に自由ではあるが、あくまで静かに読書する場所として利用することが大前提。
「最初は2時間でもいいかな、と思っていたんですけど、人間が集中できる時間を考えたら、やや間延びするかな?と。
そもそも90分という時間にはヒントがありまして。いま運営に関わっている『こども本の森 中之島』というこどものための図書施設が大阪にあるのですが、オープンしたのがちょうどコロナの真っただ中だったんです。だからどういう方が来館したかを把握しつつ、除菌清掃をしなくてはいけない。ということで、90分で来館者を入れ替えざるを得なかったんですね。公共の図書施設なので時間の制約があるのは残念だなと思っていたんですけど、実際オープンしてみると、皆さん逆にすごく集中してくれることが分かりました。“いつ入ってもいつ出てもいい“だと、ちょっとお腹減ったからどこか行ってこようとか、携帯見よう、昼寝しようとなってしまうんですが、時間をフレーミングすると、大人もこどもも“本を読む“ことにプライオリティを置くようになる。つまりそれは、残念ながら本を読むことが日常行為ではなくなっている、という背景があるのですけどね」
 

目の前に大きく広がる檜林の下には、サラサラと流れる梅谷川。「この場所って建築条件がかなり厳しくて、川沿いまで大きな建物を作ることができないんです。堀部さんには、音は聞こえるけど見えないくらいの距離感がいいのではないかと言われたんですが、その通りでしたね」。この日は、途中から雨。「そうそう雨もね、すごくいいんです。苔や緑がきれいでしょ。雨水が瓦を伝って雨落ちの石に落ちてくるのもいい。東京で雨が降ると、ああー、タクシー捕まるかな……ってなるのに(笑)」。昔ながらの手刻みで建てられた木造建築。施工は〈羽根建築工房〉、造園は〈いば庭園〉の伊庭知仁氏が手掛ける。
「場所と時間に制限をつけて読書することは、運動をしにジムへ行くことに似てきたように思います。腹筋は家でもできるし、ランニングもその辺を走ればいいんですけど、「ジムに行く」という目的を明確化することで続けられる。やっぱり時間の確保とモチベーションの維持っていうところが実は一番大きなジムに行くことの機能なのかなと僕は捉えていて。そういう観点から言うと読書も、したいしたいと思いながらも「読む」ためのスイッチを入れないとできないものになってきているというか。とても残念なことですが、新しい時代やアミューズメントのあり方に則した読書についても考えていかなければいけないと思っています。本当は目的など持たない遅効性の読書が一番優雅だと思うのですけれどね」
この場所を作るにあたって課題としたのは、読むことに特化した時間と環境をどう提案するか。
「普段は公共図書館を作る仕事が多いので、基本的には自治体のためとか、住んでいらっしゃる方のために選書して場所を作ります。そこでいろいろな建築家さんとご一緒するんですが、やはり公共のものだと、例えば開口が大きい図書館を作りたいという方が多いんです。でも(本の)日焼けのことを考えると窓は小さくしてくださいとか、集密書架を置かなきゃいけないから重さを支えるために柱を増やしてください、などと建築を窮屈にすることを言わざるを得ない。つまり、一般解を探求しなければならない」

でもここはプライベート空間。自分たちの考える、理想的な読書環境を自由につくり実験することができる。「設計は信頼する建築家、堀部安嗣さんにお願いしました。堀部さんの作るものは当然なんですが、彼の書く文体、言葉の選び方、句読点のリズムなどもすごく好きで。

細かい注文はつけずに「本3,000冊、喫茶6席、時間の流れの遅い場所」というこの三つだけの骨子をお伝えして、以上です!で、あとは堀部さんにお任せしました。

もちろんイメージの交換はたくさんしましたけれどね。近くに蓮華寺というお寺があるんですが、そこを堀部さんと散歩しながら、こういう暗いお寺みたいな空間だと本を読むのが進みそうですよねとか……会話を何度も繰り返して、でも基本的には潔く核を伝えるだけでした。そしたらこういうユニークな形にしてくださった。畳なんかも、自分たちだったら思いつかなかったですよ」
施工を担当した大工さんたちは、木造建築ならではの「手刻み」という技法を採用。
「機械で木材を切るプレカットではなく、日本古来の伝統工法を随所に用いています。釘や金具を使わず、墨付けしてノミで掘った接合部を嵌めていく細やかな職人技を間近で見ることができました。長持ちして強いだけではなく、若い職人さんたちが学んだ技を実装し経年変化を共に確認できる状況が作れたこともうれしく思っています。

実際は木造計算の学者なども入れて、耐震性や気密性なども数値で測りながらエビデンスを蓄積しようとしています。そうすれば、いずれ彼らの職能に対して社会的価値も上がってくるのではないでしょうか。
 

とろりと丸く奥深いファンさんの珈琲は、一度飲んだら忘れられないという人も多い。「1キロあたり、1時間かけて手廻しで焙煎して、それをちょっと寝かせて。ネルフィルターで一杯ずつゆっくりゆっくり淹れるので、時間は掛かってしまうんですけれど」(ファンさん)。丁寧な所作と凛とした空気が美しく、思わずじいっと見入ってしまう。「この淹れ方が点滴注射みたいだって言う方もいます(笑)」(幅さん)。運がよければありつける、昔ながらの喫茶店プリンもファンさんの手作り。とても美味しい。
少し前まで、読書は手軽かつ日常的な娯楽のひとつだったし、調べものといえば本だった。蔵書数に差はあれど家庭に本棚があるのは当たり前。本棚を見ればその人が分かる、という格言もあるくらいなのだから。

「いまは、まず本があまりにも場所を取るっていうのがあるかもしれません。スマホやタブレットでも読めてしまいますし、本棚自体がない家も多いですよね。もちろん僕もデジタルで読まないかっていえば、そういうわけじゃなくて、例えば漫画作品なんかデジタルで読むことも多いんですが、これもう1回読むなと思ったら紙で買う。それで、ぱっと本棚に入れておくと、安心して忘れられます」
図書室と言えどここはあくまで幅さんの私的なもので、個人的に「2度読むな」と思えた本を集めている。蔵書は鈍考ならではの独自分類で差し出され、いつもの自身の視点では通り過ぎてしまうであろう一冊に、出くわすことができる。
「文学から始まって、社会科学、人文科学、自然科学、ちょっと工芸とかデザインとか建築とか、サッカーは私がサポートしている英国のアーセナルFCの本ばかりなんですけど(笑)、あとアートや写真ですね。漫画とか絵本も置いてあります」

壁一面に並んだ本たちのタイトルや表紙を見ながら、迷い選ぶ時間も楽しい。

「人間がこの体を引きずって生きている以上、やっぱり紙メディアとの親和性はあるでしょうね。ここには3,000冊弱しかないので図書施設としてはマイクロライブラリーという範疇になると思うのですが、たくさん読めるというより未知なる1冊と偶然出会えることを大切にしています。私にとっては、それでも一望できるということは、自分の来歴を映す鏡を目の前にしていると感じることがあります。ちょっとアイデアに困った時にこの本棚を見てるだけで、“あ、そういえば……” ということが多々あるんですよ」
利用は○歳以上から、という年齢制限は設けていない。
「山下達郎さんのライブに影響を受けました。本人含め、ミュージシャンも音響も完璧なのに子供たちに対してもウェルカムの姿勢を貫く所に感銘を受けたんです。赤ちゃんが泣いてもMCで「子供は泣くのが仕事みたいなものだから、どうか寛容に」って。だからうちも子供が一緒に時間にいる場合も、他のお客様には「どうか寛容に」とお願いしています。畳だから赤ちゃんを寝かせておけると喜んでくださるお母さんもいました。やっぱり小さい頃からいい音楽を聴かせたいのと一緒で、子供たちにも本質的な本を手に取ってもらいたい。僕らが子供の図書施設を作る時も、裏テーマでは「子供を子供扱いしない」ということを考えています。自由に本を選べる環境だったら、図鑑だったりアートブックだったり、大人が読むようなものも逆に喜んでくれたりしますしね。

ここには古い貴重図書などもあるので、そういったものを実際手に取って触ってもらうと、新世代との化学変化があるじゃないかなとも思っています」

「飲食店と一緒に、お酒と料理のペアリングを楽しむ『夜の鈍考』というイベントも不定期で開催しています。もう、本気で遊んでますね(笑)」。これまでの共演店は神宮丸太町・くまのワインハウスや青山・パロル、祇園のバー・幾星、六本木のワインバー・HIBANAなど垂涎の顔ぶれ。遊びをせんとや生まれけむ。幅さんとファンさんが誰よりもまずこの場所を楽しんでいるのが、伝わってくる。
現在は、東京と京都の二拠点生活をしているお二人。
「東京だとやっぱりすごい速さで日々の生活を回転させていかないと、やっていけない。次々と新しい人、物、事が出てきて、そのスピード感でエンドルフィンが出るというところもあるんですが、それが昨今はヒューマンスケールを超えている気がしてきました。自分がやっている仕事も「本を読む」という、どちらかというと即効性より遅効性の仕事ですしね。

だからコロナのタイミングで、少しやり方を変えてみようかなと思って、このプロジェクトを進めてみたら実にしっくりきたわけです。

京都の近所の方たちにもよくしていただいてます。地域の行事「地蔵盆」にも参加させてもらって子供らのために本を選んだり。道を歩いていると、子供たちに「あ、本の人だ」って言われます。二拠点と言いつつ、もうこっちが七割になってきていますね、今は」
「何かやろう!という時に苦しんでやってもしょうがないですしね。私たちは極めてマイペースでやっています。例えば建築物を建てるのって大変だとか揉めたとかよく聞きますが、私たちは本当にストレスゼロでした。堀部さんの建築はもちろん、造園の伊庭さん、さっきお話した羽根建の大工さんたち、漆喰職人さん、瓦職人さん、電気工事、水道工事の一人ひとりに至るまで、すごいプロフェッショナルたちが、それぞれに技術を探求し次世代に繋いでいる様子が目撃できた。最高に楽しかったですし、とても勉強になりました」

床材には水に強いサワラ材を使用。室内は横向きに、縁側は縦向きに、違う幅のものを並べて空間を構成している。
「そういう板の張り分けや材の幅の違いだけで、空間の“流れ”みたいなものを作れる建築の力ってすごいなと思いました。天井も高いほどいいと思われがちですけど、堀部建築の“低さ”がすごく居心地がよくって。この低さや狭さが、日本の建築文脈ならではの、特別な場所というのを醸成しているのだと思います。」
「あともうひとつ、ここを作って思うのは「場所がメディア」だということ。かつてはメディアって言うと、番組や冊子、ホームページやソーシャルメディアを用いたコミュニケーション戦略が…という発想になりましたが、実際にこの場所に来ていただいて、五感総動員で時間と空間を実感してもらうということの、その“体験としての情報量の多さ”というのはすごく確信できるようになりました。

今だとスマホで調べれば全部、分かった気分になる。でも来てもらうと皆さん、写真で見てたのと違う!って仰る。」
 

京都駅からここまで来るのにお勧めの交通手段を訊いてみた。「荷物が多い方や足腰が弱い方は、京都駅からタクシーで30分。地下鉄烏丸線で松崎駅まで行ってそこからタクシーでも計30分で来れますね。でも僕は、叡山電鉄の三宅八幡駅から10分歩いてくる道がすごくよいのでお勧めしたいです。比叡山に向かってゆるやかに登ってくるのですが、鈍考の前を流れる梅谷川がその道の傍をずっと流れているので、水の音がすごくよく聴こえるんです。三宅八幡駅はちょっと不安になるくらいの無人駅なので、そこも含めて、非日常感が高まるような気がします」
ブックディレクターという職業を日本で確立し浸透させたのは間違いなく幅さんだ。

「色んなご縁と時代の必要で何とかなってしまった部分も多いのですが(笑)。私が青山ブックセンターにいた90年代の終わり頃までは、放っておいてもみな本を読んでいた。でもそんな時代にはもう戻らない。じゃあどうやって読む悦びを思い出してもらうのかと考えた時に、「読め、読め!」ってポスターを貼るんじゃダメなんですよね。

気が付けば読んでいた、という状態をどう作るかを考えて、その方向にアフォードしていく。我々がずっとやってきたことなんですが選書だけでなく、こういう内容の本や書架にはどういう照明計画、家具計画がいいのか、子供の場所だったら何種類の高さの椅子の座面を準備すればいいのか。すごく細やかに考えて、居心地と本へのモチベーション喚起を誘発するクリエーションを考える。そういうことを積み重ねてきた結果、それがひとつの領域として認知されつつあるところなんじゃないかな、とは思いますね」
珈琲と木の香り、川のせせらぎ、本をめくる音。ふと目を上げると林がザワザワと揺れている。時間の流れはゆっくりだけれど、気づくともうすぐ90分。あっという間だ。
「そう、意外にあっという間だって、皆さん仰る。あっという間なんだけど、でもその中でちゃんと、自分の中に深く潜っていけるというかね」

まだ帰りたくないと感じるくらいが、丁度いいのだ。この素晴らしい空間の根底にあるのは幅さんの深い読書愛。一度来たからそれで満足とは決してならない。次の予約はいつにしようか考えながら山を下る。

予約はオンラインのみ。毎週水曜日の午前9時、2週間後の水、木、金、土曜日分をまとめて受け付ける。1日3回・90分間、1回の定員は6名。

「幾星 京都蒸溜室」で余韻の残るノンアルコールカクテルを。


出町柳駅まで戻ってきたけれど、帰りの新幹線までにはまだ時間がある。もう一軒、気になるお店を訪ねたい。京阪本線に乗りかえて向かったのは、五条楽園にある「幾星 京都蒸溜室」。祇園にある薬草リキュールバー「喫酒幾星(きつしゅいくせい)」のオーナーバーテンダー・織田浩彰さんが手掛ける蒸溜所兼バーで、植物の香りをぎゅうっと凝縮した蒸溜水のノンアルコールカクテルを楽しむことができる。
「直接のきっかけは、コロナですね。“アルコールが飲めない”っていう大きな枠組みができたんで、だったらノンアルコールバーみたいなものをやってみようって、祇園の本店で試しにやってみたんです。

そしたらお客さんもそういうマインドで来てくれて、ノンアルコールもけっこう飲んでもらえるんだなっていうのが分かりました」(織田さん・以下「」内同)
幅さん夫妻とも仲良しの織田さん。喫茶 芳でもこちらのノンアルコールスピリッツを使ったドリンクがオンメニューしている。
幅さん夫妻とも仲良しの織田さん。喫茶 芳でもこちらのノンアルコールスピリッツを使ったドリンクがオンメニューしている。
2022年の末にオープン。
「蒸溜所ってある程度工場なんで、広さがなくちゃいけないんです。そうなると京都の街中でこんな広さのとこ探すのはちょっと無理で。周辺でどこか……と探してた時にこの〈五条楽園〉っていう旧遊郭街が出てきた。この建物も元遊郭なんですよ。だからちょっと普通の建築式と違う。そういう部分にもストーリー的に惹かれたというのもあって」
蒸留水は、可食性がないものからも香りが取れる。例えば柑橘の皮や植物の葉などはもちろんのこと、ボトル販売もしているお店の代表的なノンアルコールスピリッツ「然仙(ねんせん)」は、なんと木屑を蒸溜したものというから驚き。

「桶屋さんから出る木の削り屑をもらってきて、それを蒸溜している。いわゆる廃棄物を再利用して作った製品です。うちで作っているボトルに関してはすべて、SDGsをコンセプトに入れるようにしています」
 

最初にいただいたのは「神代杉のノンアルコールカクテル」1,500円。カンナ屑から生まれたスピリッツ・然仙(ねんせん)を使ったジントニックで、仕上げに神代杉のカンナ屑をのせて炙り、さらに香りを重ねる。
織田さんのSDGsに対する意識は、バーテンダーとしてよく海外を訪れるようになってより強まった。
「例えばバーテンダーの大会なんかも、サステイナブルな要素がなかったら全く勝てないぐらいなところまで来ていて。だから最近、世界大会とか出てるバーテンダーは必ずその要素を何かしら入れているんです。だから私も当然それを意識せざるを得ないと言いますか……

向こうではイヤそれってSDGs的にあんまり意味ないんじゃない?っていうことを真剣にやってる場面も多いんですが、向こうの人たちが偉いなと思うのは、意味がないと分かりつつもとりあえずみんなでなんかやろう!みたいなところがあって。100個やったら1個ぐらいいいアイディアがあるだろうっていう発想なんですよね。とりあえず動く。

うちなんかの規模では、使える量って本当に大したことないですし、それが環境負荷にどれほど影響があるのかわかんないですけど、一応ものを作るにあたって、そういうコンセプトは持ってやっています」

2杯目は目にも鮮やかな「水のネグローニ」1,700円。世界のバー100店で“最も飲まれているカクテル”に選ばれたカンパリベースのネグローニを、漢方茶アレンジでノンアルコールに。
一杯のカクテルやウィスキーを、時間をかけてゆっくり楽しむ。バーというのは、ある種特別な空間。
「カクテルっていうもの自体が“時間を飲むもの”だと思っていて。今日飲みに行こうよっていうのはつまり、一緒に話そうよってことですよね。そのための時間を作って一緒に過ごしたい、という意味で。

いわゆるカクテルみたいな、僕は嗜好性の高い飲みものって言ってるんですけど、そういうものってそんなにゴクゴク飲めない。だから結果的に飲むのがゆっくりになって、一緒にいる時間が増えていく。麦茶だったら10分だけど、ウィスキーなら1時間、2時間になる。それがバーで過ごすっていうことなんですよね」
 

東京出身の織田さんが京都で暮らし始めたのは大学時代。そこから20年余の間に、自分のお店を二軒も持つことに。「絶対に京都がいいと思って残ったわけでもなくて、特に東京に戻る理由がなかったんですよね。京都は、人も文化も東京と全く違うので、外国に住んで働いてるみたいな感じもいまだにあったりして。価値観も、昔の日本を引っ張っている感じがあって、そこが面白い。共存共栄みたいな考え方が強いと言いますか。例えば商売でも、一人が飛び抜けて儲けるというよりと、“みんなで生きてくためにどういう風に最適化していくか”っていう考え方で。競争じゃないところがいいなと思っています」
もちろんこれまでも、ノンアルコールカクテルというのは存在している。とはいえお酒を飲めない人同士でバーに入る、というのはなかなか敷居の高い行為だろう。

「うちのノンアルコールスピリッツは香りがすごく濃縮されているので、お酒と同じでゴクゴク飲めない。だからノンアルコールのカクテルをお出しすると、皆さん結構ゆっくり飲まれるんです。結果、従来のアルコールのバーの世界観と似たようなものがカウンターの上に出来上がっていく。それもいいなと。だからゆくゆくはこの店を、ノンアルコール専門にしていきたいなと思っているんです」
 

最後の1杯は、ラベンダーと郡上八幡産の衣笠茸のスピリッツ・傾城(けいせい)を使った「太夫の恋」1,700円。傾城とは城が傾くほどの美女から転じて最高位の遊女(太夫)のこと。安らぎと色気を併せ持つ独特の風味で、まさに“飲む香水”そのもの。
アルコールが入っていない分、舌にも鼻にも香りが深く長く残る。満足度の高いふくよかな味わいは、お酒の気分だけど体調的に飲みたくはない……そんな我儘な欲求にもしっかり応えてくれる。提供するのは、ソフトドリンクではなくノンアルコールのカクテル。だってここは、バーなのだから。

「ノンアルコールカクテルはまだ黎明期で、文化としては定着していないですよね。そもそもお酒を飲まない方はスタンダードなカクテルを知らない。だからまずは、ジントニックやネグローニのようなスタンダードの再現から。それをどうやったら飲んでいただけるかを考えてやっていくことかなと思っています」

昼間の営業は、ノンアルコールスピリッツ「miatina」の試飲とボトル販売タイム。3種をじっくり飲み比べできる。自分へのお土産にはもちろんのこと、ギフトにしたら確実に喜ばれそう。左から然仙、非時、傾城 500ml 各4,180円。
築140年以上の町屋にカウンター6席、テーブル2席。昼間は坪庭も見ることができる。フードは一切置かず、カクテルのみの潔さ。
築140年以上の町屋にカウンター6席、テーブル2席。昼間は坪庭も見ることができる。フードは一切置かず、カクテルのみの潔さ。

美味しいお酒が旅の友だったはずなのに、気づけば珈琲とノンアルコールカクテルで、心の底から満足してしまった。思いがけずいままでと違う自分を発見できるのも、旅という非日常のおかげかもしれない。帰りの新幹線ではさっそく、新しく買った本を読む。良い旅はいつも、終わりまで最高だ。
 

Text:Kei Yoshida
Photo:Hako Hosokawa



いつもと違う京都府観光には、〈鈍考/喫茶 芳〉〈幾星 京都蒸溜室〉がおすすめ。

鈍考 donkou/喫茶 芳 Kissa Fang


所在地京都府京都市左京区上高野掃部林町4-9
アクセス叡山電鉄 三宅八幡駅から徒歩約10分
URLhttps://donkou.jp/
Instagram@kissa_fang
営業時間水曜〜土曜
11:00〜12:30(第1部)/13:00〜14:30(第2部)/15:00〜16:30(第3部)
※1名につき1日1枠まで
施設利用料2,200円(珈琲一杯付き・6歳以上料金発生)
※ノンカフェインメニューも有


 

幾星 京都蒸溜室


所在地京都府京都市下京区早尾町164-2 1階
アクセス京阪清水五条駅から徒歩約3分
電話番号075-708-2091
URLhttps://ixey.jp/
Instagram@ixey_distillery
営業時間14:00〜22:00(L.O. 21:30)
休業日水曜、木曜


 
※記事中の商品・サービスに関する情報などは、記事掲載当時のものになります。詳しくは店舗・施設までお問い合わせください。