お気に入りの服を身に纏うと、いつもより少し胸を張って歩けるような気がする。なんとなく気分が上がる。そして、その背景にある産地や作り手のストーリーを知れば、ものに対する愛着がより一層深く湧き上がってくる。今回は毛織物産地“尾州(びしゅう)の歴史を辿り、文化を紐解き、一生愛せる一着を探しに出かけよう。


繊維のまちを90年間見守ってきたレトロビル〈Re-TAiL〉。


JR尾張一宮駅のすぐ東に、繊維産業で栄えた愛知県一宮市のまちを、長きにわたり見つめ続けてきたビルがある。一枚一枚風合いの異なるスクラッチタイル、白い隅石の縁取り、縦のラインが印象的なゴシック風のアーチ窓。3階建てのそのビルは、どこを切り取っても端正で、隙がなく、絵になる。
尾西織物同業組合の事務所として、1933年に建てられた尾西繊維協会ビルは、2015年にその役目を終えた。そして翌年、名前を〈Re-TAiL(リテイル)〉と改め、リニューアル。現在はファッションをはじめ、ライフスタイルにまつわるショップやアトリエ、カフェが入居する複合ビルとして親しまれている。そもそも“尾州”とは、愛知県一宮市を中心に岐阜県西濃エリアまで広がる、毛織物(ウール)を中心とした織物産地一帯を指す。尾州でつくられた生地は、その品質の高さから、日本国内だけでなく海外のトップブランドからも厚い信頼をおかれ、1950年代には繊維産業が日本一の産業にまで発展した。
株式会社リテイル代表取締役の伊藤核太郎さんが、特別に建設時の青図(立面図)を見せてくれた。
株式会社リテイル代表取締役の伊藤核太郎さんが、特別に建設時の青図(立面図)を見せてくれた。
尾州は、ウールの国内生産量の約6割を占め、日本最大の毛織物産地として知られているが、それ以外にも多種多様な生地を生産している。その多様さを体感できるのが、〈Re-TAiL〉の1階にある「RRR MATERIAL PROJECT」だ。
RRR MATERIAL PROJECTでは尾州で生まれる多種多様な生地に触れ、じっくり選ぶことができる。
RRR MATERIAL PROJECTでは尾州で生まれる多種多様な生地に触れ、じっくり選ぶことができる。
広々とした空間を埋め尽くすほどの、個性豊かで色とりどりの生地や糸。実はここにあるのは、尾州のメーカーが生地を生産する過程で制作したサンプルで、通常は各メーカーの倉庫などに眠る生地を、メーカーの協力のもと一堂に集めて販売している。商品化に至らなかった生地は本来であれば販売される機会はないが、ここに並ぶことで、ハンドメイド作家やアーティストと出会い、新たな命が吹き込まれる。
3階にある立派な大ホール(旧会議場)も、同じく生地のストックヤードとして活用されている。ここは館内でも特に往時の面影が色濃く残る空間だ。歴代組合長の肖像画、調度品や舞台に施された繊細な意匠…。どこも見応えがあり、つい時が経つのを忘れてしまう。

〈一宮市せんい団地〉の渋ビルにみる、繊維産地の足あと。


一宮市にはなんと「せんい」という住所があるのだと聞き、興味をそそられて旅の途中に訪れてみる。信号や青色の住所表示プレートには、たしかに平仮名で「せんい」の文字。この一帯は〈一宮市せんい団地〉として、1969年から1970年にかけて、織物メーカーのオフィスや店舗を集合させて尾州卸売業の高度化を図るために誕生した。当時建設された115棟のビルのうち、8割程度が現在も残っており、用途は変わっても大切に使い続けられている。
ハンバーガーが3つ並んでいるかのような窓。中央1階にはドリップバッグ専門店が入居。
ハンバーガーが3つ並んでいるかのような窓。中央1階にはドリップバッグ専門店が入居。
団地というと均一化された建物が規則正しく並んでいる光景を思い浮かべるが、ここにはとにかく一つとして同じデザインがないのがおもしろい。ハンバーガーのような窓、織地を表現したかのような大胆なタイルの柄、ずらりと並んだカプセル型の窓…。それぞれのオーナーの自社ビルに対する並々ならぬこだわりが滲み出ている。レトロ好きにはたまらない、渋ビルの宝庫だ。
最近では空きテナントがコーヒーのドリップバッグ専門店や美容院などに生まれ変わり、中央にある公園では年に2回マーケットイベントが開かれるなど、時代に合わせて少しずつ景色を変えながら、せんい団地は今もたくさんの人に愛され続けている。

参考:せんい団地渋ビル法典(制作・発行/名古屋渋ビル研究会)


工場併設のショップ〈新見本工場〉で一生愛せる洋服を。


最後に訪れたのは、尾州を巡る旅の最大の目的地〈新見本工場〉。創業128年の繊維会社、木玉毛織(きたまけおり)の工場の一角にある。
もともと生地のサンプルをつくる「見本工場」だった場所を活用して、新たに生まれたショップだから〈新見本工場〉。のこぎり屋根の工場をリノベーションして店舗として活用している。
店内の商品の8割がオリジナル商品。Instagramでは商品の企画段階の様子から発信している。
店内の商品の8割がオリジナル商品。Instagramでは商品の企画段階の様子から発信している。
生地を織り、服を仕立て、販売する、服づくりの川上から川下までを一貫して手がける“産直”店舗として2021年4月にオープン。その2年半後、2023年11月29日(いいふくの日)には、スペースをおよそ2倍に拡張してグランドオープンした。尾州産地の繊維業が最盛期を迎えた1950年代には、100人以上の従業員がこの木玉毛織の工場で働き、九州から集団就職に来て、敷地内には寮や守衛室まで備えていたという。生地を織れば、どんどん売れる、いわゆる“ガチャ万”と呼ばれる時代だ。しかし、次第にブランドがより安価での生産を求めて、工場を次々に海外へ移転。尾州でも多くの工場が生産から撤退したり、規模を縮小せざるを得ない状況に陥った。
のこぎり屋根の役割は生地の色を見るための採光と、機械の音を拡散して消音するためなのだそう。店内には自然光が降り注ぐ。
のこぎり屋根の役割は生地の色を見るための採光と、機械の音を拡散して消音するためなのだそう。店内には自然光が降り注ぐ。
そんな中、地域でその名を知らない人はいないほどの名門工場で、広大な敷地を誇る木玉毛織は、事業縮小によって工場内で使われなくなったスペースを同じ繊維産業を支えるさまざまな作り手に提供。そして〈新見本工場〉がオープンしたことにより、いつしか敷地内で糸を紡ぐところから、生地の織り、服のデザイン、仕立て、販売までがすべて担える“木玉ビレッジ”が形成された。
〈新見本工場〉の最大の特徴といえば、商品として尾州産の「生地」が並んでいることだ。約70種類の生地から、自分の好きな生地を選んで、パンツやワンピースなどに仕立ててもらうことができる。洋服をデザインから選ぶことはあっても、生地から選ぶ体験はなかなかできない。産地ならではの服選びの醍醐味。使われている糸の種類や織り方、それぞれの生地が持つ機能性、さらにはどんな職人さんが作っているかまで、デザイナーの彦坂雄大(ゆうた)さんから、生地についての丁寧な説明を受ける。ショップに工場が併設しており、日常的に職人の傍にいるからこそ、彦坂さんは一つ一つの服の背景にあるストーリーを熱をもって伝えることができるのだろう。
尾州産地の魅力に魅了され、同世代の仲間と共に始めた尾州の魅力を伝える活動を経て、新見本工場を立ち上げた彦坂さん。
尾州産地の魅力に魅了され、同世代の仲間と共に始めた尾州の魅力を伝える活動を経て、新見本工場を立ち上げた彦坂さん。
オーダーというとハードルが高いと思うかもしれないが、〈新見本工場〉では生地作りから販売までを一貫して手掛けているため、大幅にコストを抑えることができる。アパレル業界ではメーカーが商品を直販することは、ある意味で御法度と言えるかもしれないが、この体制によって本当に良いものを、作り手としても納得いく価格で届けることができるのだ。
オーダー商品の記事を裁断する様子。仕上がりをイメージしながら丁寧に作業を進める。
オーダー商品の記事を裁断する様子。仕上がりをイメージしながら丁寧に作業を進める。
彦坂さんは産地への並々ならぬ想いを語ってくれた。
「僕はずっとアパレル業界で働いてきましたが、業界が“常識”を続けた結果、産地は衰退してしまいました。だから、10年後、20年後、その先まで産地を残すためには“非常識”をやっていくしかないと思っています」。
常連客には左官や造園などの職人さんも多く、グランドオープンの際には、看板や照明、植栽などに力を貸してくれたという。細部にわたってそれぞれの職人の技が光る。
常連客には左官や造園などの職人さんも多く、グランドオープンの際には、看板や照明、植栽などに力を貸してくれたという。細部にわたってそれぞれの職人の技が光る。
服作りの現場を見て、実際に商品に触れ、彦坂さんの想いを聞くと、産地の魅力にどんどん引き込まれていく。たくさんの職人の手を経て、産地の歴史やデザイナーのこだわりが込められ、何より、産地に携わる人々の愛情が一心に注がれた一着を身に纏いたいと思う。
今シーズンの新作だという「はたやトレンチ」を羽織らせてもらった。トレンチコートのために新たに開発された、コットンとウールを組み合わせたオリジナルの生地は、上品な光沢としなやかなドレープがあまりにも美しく、鏡に映った自分の後ろ姿に思わずうっとりしてしまう。
新見本工場の商品は多くがユニセックス仕様。サイズも幅広く、性別や体型問わず美しく着ることができる。
新見本工場の商品は多くがユニセックス仕様。サイズも幅広く、性別や体型問わず美しく着ることができる。
タータンチェックのライナーが背中を温めてくれる安心感がありながら、着心地はふわりと軽い。少し高めの位置のウエストをきゅっと絞れば、自然と背筋が伸びる。上質な生地を惜しみなく使い、美しいシルエットと軽やかな着心地を実現したこだわりのトレンチコート。きめ細やかな生地が丁寧な縫製で繋ぎ合わせられた丈夫なコートはまさに一生物だ。これから先、いろんな場所に出掛けて、ずっといっしょに歳を重ねていきたい、そんな一着と巡り合った。

産地の歴史を知り、ものが生まれる現場を見て、作り手の想いに触れ、時間をかけて選んだ一着を自分のもとに迎える。きっと、これから先、この服を着るたびに、今日の旅のことを思い出すだろう。



Text:Eriko Sugita
Photo:Makoto Kazakoshi



いつもと違う愛知県観光には、一宮市の〈Re-TAiL〉〈一宮市せんい団地〉〈新見本工場〉がおすすめ。

Re-TAiL


所在地愛知県一宮市栄4-5-11
アクセスJR尾張一宮駅から徒歩約3分
電話番号0586-59-2105
URL@re_tail_jp
営業時間10:00〜18:00
休業日月曜(祝日は営業)


 

協同組合一宮繊維卸センター(一宮市せんい団地)


所在地愛知県一宮市せんい3-2-18


 

新見本工場


所在地愛知県一宮市西萩原上沼40内
アクセス名鉄バス「西萩原」バス停から徒歩約5分
名鉄電車尾西線「萩原駅」から徒歩約30分
電話番号0586-52-7207
Instagram@bishustore
営業時間平日13:00〜17:00
土曜10:00〜17:00
休業日火曜、日曜、祝日


 
※記事中の商品・サービスに関する情報などは、記事掲載当時のものになります。詳しくは店舗・施設までお問い合わせください。