目的地にしたい料理屋【湖里庵】

滋賀県高島市は、琵琶湖の西エリアに位置する自然豊かな町。米原駅で新幹線を降りたらJR北陸本線に乗り、近江塩津駅へ。そこからさらにJR湖西線に乗り換えて、ふたつ目のマキノ駅が今回の目的地。琵琶湖に面した素晴らしい景観で知られる料亭『湖里庵』に、鮒寿し懐石を食べに行くのだ。

お店は駅から車で6分ほどのところだけれど、予約した時間にはまだ余裕がある。少し足を伸ばして、日本の街路樹百景にも選ばれたという、メタセコイアの並木道をドライブしてから向かうことにする。
巨大な緑のアーケードのように枝葉を広げる約500本のメタセコイアは、噂に違わぬ壮観さ。2.4kmに亘る直線道路(県道小荒路野沢線)を、新芽から深緑、紅葉、樹氷と四季折々の美しい姿で彩ってくれる。昭和56年に周辺の栗園を風から守るために植えられたのが始まりだが、地域の人々に愛されて少しずつエリアが伸び、40年以上かけてここまでの景色になったとのこと。車で通り抜けるのもいいけれど、樹々の香りを吸い込みながら歩くのはさらに気持ちがよく、小雨が降る中、しばらく散歩した。
塩漬けにした魚を炊いたお米に漬け込んでつくる熟鮓(なれずし)は、お酢を一切使わず乳酸発酵によって生まれた酸味を味わう、寿しの原型とも言われる料理。中でも琵琶湖のみで育つニゴロブナを使った鮒寿し(ふなずし)は滋賀県を代表する郷土料理で、平安時代の書物に“貢納品”として記録されているほど古くから、いまに伝わっている。
湖里庵は、天明4年(1784年)から200年以上続く鮒寿し屋『魚治(うおじ)』が営む料亭旅館(宿泊は一日一組限定)。魚治の七代目である主人の左嵜謙祐さんが、鮒寿しと地産の湖魚を使った懐石料理を昼・夜2回転制で提供している。
 
鮒寿しの漬け込み期間は通常1年程度だが、魚治のものはその倍の期間、2度越冬させる2年間熟成。長期で熟成することで酸味だけじゃなく旨味とまろ味が生まれ、特別な一品になる。
お店の向かいにある魚治本店。こちらもとても立派だが、周辺には同じく昔ながらの木造家屋や瓦葺きの建物、たくさんの寺院が軒を連ねていて、とても風情がある。「この街道沿いが、重要文化的景観地域になっているんです」と聞いて納得。
お店の向かいにある魚治本店。こちらもとても立派だが、周辺には同じく昔ながらの木造家屋や瓦葺きの建物、たくさんの寺院が軒を連ねていて、とても風情がある。「この街道沿いが、重要文化的景観地域になっているんです」と聞いて納得。
左手に見える朽ちた木の杭は桟橋の跡であり、かつて港町として栄えていた頃の名残り。「(電車の)湖西線が開通するまではひとつ手前までしか駅がなかったので、昭和30年代までは関西方面からマキノ高原のスキー場に行く客さんが夜行で海津に朝着くっていう船がたくさん行き来していたみたいです」。そう教えてくれたのは、左嵜さんの妻でお給仕を担当する奈緒子さん。「台風なんかで抜けていったりすることはあるんです。あの杭があるとないとでは雰囲気がだいぶ変わるので、長く残って欲しいなと思うんですけど」。
もともと魚治は、桟橋を降りたすぐのところに店先を構えていた。「桟橋を利用するお客さんが土産に鮒寿しを買ってくださったというのが、うちの原点。その内、峠を越えるのが遅くなって最終の船に間に合わなくなった人とか、これから帰るのに食べ物がないという人たちに食事や宿泊の提供をし出したのが、料理屋と宿屋の始まりです。遠藤周作先生が「湖里庵」と名付けてくださるまでは、ここは「魚治の浜の家」としてやっていたんです」。

※作家の故・遠藤周作氏が“本当に美味しい鮒寿し”を探し求めた結果、先代の魚治に辿り着き、その味と旧湖里庵から見える琵琶湖の景色に惚れ込んだそう。その後、氏の狐狸庵というペンネームをもじって付けられたのが「湖里庵」という店名の由来となっている。
「では、時間になりましたので始めさせていただきます」。左嵜さんの一声に、胸が踊る。
先付けは、胡瓜のソースを敷いたウグイの炙り。淡水魚のイメージを覆す雑味のなさに、いきなり驚かされる。「琵琶湖の沖合いで釣られたものです。足が早いのでほとんど流通に乗らないお魚なんですね。県外は元より県内でも口にする機会は中々ないと思います」。
パッと鮮やかな八寸には、さっそく鮒寿しが。ただしこちらは“甘露漬け”という、漬け込んだご飯の部分=「飯(いい)」を取り除いてから酒粕に漬け直したもの。鮒寿しそのままより食べやすいという。ほか琵琶マスの小袖寿し、南瓜のすり流し、自家製鴨ロース、氷魚とイトウリの土佐酢和え…etc 右上のお皿に盛られているのは「とも和え」。旨味の強い鮒寿しの尻尾の身を細かく刻んで飯と和えたもので、2皿目にしてこれが絶品! 以後、おつまみとしてチビチビ楽しむ。

「琵琶湖の真珠が育つ池蝶貝を削り出した丸いお皿を、月に見立てました。琵琶湖は縦型の湖なので月が見える場所は限られているんですが、うちからは海津大崎の方から出たお月様がよく見えるんです」。

地元の酒蔵・福井弥平商店の「雨垂れ石を穿つ」を合わせる。江戸時代から伝わる十水仕込(とみずじこみ)という手法で造られているそう。
お椀は、芳しい松茸のお吸い物。一夜干しの鮎を焼いた骨で取った出汁を合わせた。「鱧松(はもまつ)というのが有名ですけれど、同じことしてもね。地域ならではのもので合わせるんやったら、琵琶湖は鮎やなあと」。ふたつの風味の相性はもちろん、鮎の食感も格別。
“琵琶湖の宝石”と呼ばれる琵琶マスを、塩たたきと平造りで。産卵前のいちばん脂が乗ったものが手に入ったというから嬉しい。同じ通り沿いにあるお醤油屋さんのほんのり甘い手造り醤油が、本当によく合う。「淡水魚の脂に慣れてしまうと、海のお魚の脂は少し強く感じるという方もいらっしゃいますね」。
 

からすみ餅ならぬ、鮒寿し餅。ふんわり焼けた薄いお餅は、鮒寿しを漬けている飯と同じ農家さんが育てる、羽二重という餅米でつくったもの。「滋賀県のお餅は和菓子屋さんに重宝されるいいお餅なんです」。鮒寿しの絶妙な酸味がお餅との相性抜群で、日本酒がますます美味しい。

香りの強さと赤色の美しさが特徴という琵琶湖の川海老はかき揚げに。衣がほぼついていないので凝縮した海老の味のみ!「大人のかっぱえびせんて呼んでます」。
鮒寿しの頭を沈めた小吸い物で、口の中を和に戻す。熱いお出汁を注ぐだけで、酸味と旨味がじわじわと溶け出してくるのは2年熟成だからこそ。「この小吸い物で、頭から尻尾まで鮒寿しを丸ごと召し上がったことになります。おうちで鮒寿しを召し上がるとき、周りのご飯や頭ってどうしたらいいの?となりますよね。だからこうしたら全部食べられますよ、という食べ方を伝えたいんです」
焼きものは琵琶湖の天然鮎。「川の鮎よりひと回り小さいのが特徴です。琵琶湖の鮎は苔を食べずに動物性のプランクトンを食べて育つので、大きくならない。これで一人前です」。食べ物のせいか、身の味もしっかりしているという。
この日は、年に3週間くらいしかチャンスがないという、“子持ち鮎”に当たるという僥倖…!「通常の鮎なら塩焼きなんです。でも子持ちの場合は、塩焼きだとちょっと魚っぽさが強く出るので、付け焼きにしてお召し上がりいただこうと」。山で採れた“いい山椒”を漬け込んだ自家製の山椒醤油をつけて、じっくり焼いていく。焼き上がり頭からガブっとしたら、鮎の香りが丸ごと広がった。

2018年9月4日。大型台風21号の被害を受けて湖里庵は全壊した。

「建物が無くなったもので、大津市のホテルのダイニングスペースを借りて料理をさせてもらっていたんです。そのホテルからは、琵琶湖が見えなかった。うち(湖里庵)は“海津”というエリアで、ひと山越えると日本海。実は良い海の幸も手に入る場所なんです。だからそれまでは、琵琶湖のものだけじゃなく海のお魚を使った料理もお出ししていて、そのことを特に疑問に思っていませんでした。でも、大津のホテルで海の幸を使った自分の料理を出したとき、「なんて説得力のない料理だ!」って思って。これだったら自分が料理をする意味がないじゃないかって」。
「湖里庵で海のお魚を使っていたときって、いま思えば景色に甘えていた。料理は料理、景色は景色。美味しい料理を食べながら良い景色を楽しめれば、お客さんは満足なんじゃないかと。自分は美味しい料理を作っていると思っていましたから。でも例えば、“いい鯛が獲れたので”と言ったときに、“へぇ、琵琶湖でも鯛って獲れるんだねぇ(笑) ” っていうお客様の返しは、全部が冗談なわけじゃなかったんですよね。

台風にあって“あの景色が使えない”となったときに、料理に対する自分の甘えが見えたんです。琵琶湖の景色と切り離されたからこそ、気づけた。それから、鮒寿しと琵琶湖のものだけ、というのを琵琶湖が見えないところでやってみました。見えないからこそ、どこまで伝えられるのか。それができたら本来の場所に戻りたいと思いながら、2年間過ごしたことを思い出します」。

締めは出汁茶漬け。鮒寿しをいちばん手軽に美味しく食べる方法だと、昔から言われているそう。熱々のお出汁をたっぷりと掛けて、身を崩しながらいただく。赤米を炒り米にしたものをアラレ代わりに。
2021年4月29日、新しい姿となった湖里庵が再スタート。設計と内装を担当したのは、大阪に設計事務所を構える謙祐さんの弟・晋吾さん。「料理の間も琵琶湖に目が向くように、カウンターを傾けてもらったんです」。テーブル席も同じ配慮がされているので、どこに座っても目線の先には自然に琵琶湖が入ってくる。

かつての湖里庵は窓で景色を切り取って提供していたが、現・湖里庵は景色を、丸ごと。料理はさらに研ぎ澄まされ、大津のホテルで誓ったように、鮒寿しと琵琶湖の食材の懐石となった。
「壊れてしまった前の建物から、升格子や建具なんかで外せたものもあったんです。新しい店を建てるときにそれも使って欲しいっていうわがままを聞いてもらえたのも、弟だったから。父の一周忌のあと、それまで家業を手伝ってくれていた弟から、“建築の夢が捨てられないから(店ではなく)そっちの道をすすんでも良いか”って言われたんですね。その時はこっちも大変なのに…っていう気持ちがないこともなかった。でもこうして、台風で壊れた建物を弟が作り直してくれるっていうことなって…本当に、何がどう転ぶか分からないですね」

フィナーレは目の前で仕上げる出来たてのわらび餅。有機大豆を自家焙煎したきな粉と黒蜜も、隙のない美味しさ。「余った蜜ときな粉を合わせて練り練りして召し上がる方もいらっしゃいますよ(笑)」
魚治の長男として生まれた謙祐さんは、子供の頃から鮒寿し作りの手伝いをしていた。
「学校から帰ってきたら山ほど魚がいて、みんなその処理をずっとしている。これが終わらんとご飯食べられんと、手伝うようになって。最初はウロコ取り、力がついてきたらエラ取りみたいな感じで少しずつですね」。下処理が終わった鮒は、一気に気温が上がる7月の土用に漬け込まれる。

「ちょうど夏休みになるんで、おうちのお手伝いを1日1回しましょうって宿題が出る。漬け込みのあとは「守り」という作業が必要になるのですが、父親が僕に「鮒寿しを漬け込んでいる桶の水を毎朝変えてくれ」と言うんで、やってたんです。

あとから思ったのは、それは作り手として非常に気を遣う時期なはずなんですよ。発酵には人の常在菌が大きく影響するので、蔵に入るのはは父1人というのがルール。でも自分だけは大事な時期に蔵に入れてくれて、守りの手伝いをさせてもらっていた。物事を感覚として受け止めることが多い年頃にそれをさせることで、“正解”をずっと教えてくれてたんやなって思いました」。
入店したときは曇り空だったのが、いつのまにか真夏のような強い陽射しに。湖面の表情がみるみる変わっていくのに魅せられて、気づけばぼんやり琵琶湖を眺めてしまう。「私たちも毎日ここに立ってるんですけど、本当に“飽きもせず”、っていう感じです」(奈緒子さん)
入店したときは曇り空だったのが、いつのまにか真夏のような強い陽射しに。湖面の表情がみるみる変わっていくのに魅せられて、気づけばぼんやり琵琶湖を眺めてしまう。「私たちも毎日ここに立ってるんですけど、本当に“飽きもせず”、っていう感じです」(奈緒子さん)
「高1までは考古学者になりたかったんです。親に言っても反対もされなくて。でもあるとき目の前にいる父を見て、“この人も夢があったんやろうか”とふと思ってしまって。お父さんもやりたいことあったの?って聞いたら「そりゃあ、あったよ!」って言われたんですね。いま当然のように鮒寿しの仕事をしているこの人にも夢があって。でも長男だから役割として与えられた仕事をする、ということを選んだんだと。それを聞いたら自分は“やっぱり甘えてる”って思って。長男なのをいいことに、“考古学失敗したら実家継いだらええやん”っていう甘えですね。戻る場所があるから他のことやりたい、って言ってるんだって気づいて。高校2年生のときに、後を継ぐって決めたんです」。

先代が57歳の若さで亡くなられたとき、左嵜さんはまだ27歳。予定より早く後を継ぐことになった。「子供の頃からちゃんと“正解”を教えてもらえていたお陰で、助かりました」。
京都の料亭での修行時代に知り合ったという謙祐さんと奈緒子さん。上のお子さんは現在、大学で発酵について学んでいるそう。「(店を)継いでくれとか、そういうことは望んでないんです。思ったように生きてほしい。でも将来の選択肢に入れてくれているのかな、と思うとやっぱり嬉しいですね」。
京都の料亭での修行時代に知り合ったという謙祐さんと奈緒子さん。上のお子さんは現在、大学で発酵について学んでいるそう。「(店を)継いでくれとか、そういうことは望んでないんです。思ったように生きてほしい。でも将来の選択肢に入れてくれているのかな、と思うとやっぱり嬉しいですね」。
何気なく放った「とにかく本当に、この鮎がもう、お魚として美味しい」という呟きを、左嵜さんは聞き逃さなかった。
「琵琶湖は広いとはいえ湖ですので、そのお魚が生きている範囲が“水”でくくれるんですよね。調味料の仕込み水、地酒の仕込み水、そしてお魚もそれと同じ水で育っている。そういうなじみの良さも、あるんです。もちろんその範囲を絞れば絞るほど旬の期間が短くなるから大変なのですが…そういう形の考えで料理している、ということです。できるだけ地のもの、同じ水でくくれるもの同士で料理する。

手を込んで、“僕が美味しさをつくったよー!”とするよりも、食材同士の相性の良さで美味しさをつくれるといいのかなと。ここまで足を伸ばしていただくからこそ、そういう楽しみをお出しできるといいなと思うんです」。
奥琵琶湖がこんなにも美しく美味しい場所であることを、どうして今まで知らなかったんだろう。今回知れて、本当によかった。台風被害を経て新たな境地に辿り着いた左嵜さんの、素晴らしいお料理とバランス感覚。伝統的な製法でつくられながらアレンジも楽しめる鮒寿し。ガラス窓いっぱいに広がる琵琶湖のきらめき。つまり、湖里庵にすっかり夢中なのだ。次に訪れる時は絶対に泊まる。できれば月の出る夜に。
昼は12時・夜は17時からで、1人15,000円(料理のみ、サービス料・税別)。琵琶湖を愛でつつ舌鼓を打つ2時間はあっという間だが、不思議と慌ただしさはない。賑やかに食事を楽しんでも静かで気持ちのいい空気が漂うのは、琵琶湖とお店の力でしかない。
昼は12時・夜は17時からで、1人15,000円(料理のみ、サービス料・税別)。琵琶湖を愛でつつ舌鼓を打つ2時間はあっという間だが、不思議と慌ただしさはない。賑やかに食事を楽しんでも静かで気持ちのいい空気が漂うのは、琵琶湖とお店の力でしかない。


Text:Kei Yoshida
Photo:Hako Hosokawa



いつもと違う滋賀県観光には、高島市の〈メタセコイヤ並木〉〈湖里庵〉〈鮒寿し 魚治〉がおすすめ。

湖里庵(こりあん)


所在地滋賀県高島市マキノ町海津2307
アクセスJR湖西線「マキノ駅」から徒歩約19分、国境線バス「海津3区」下車
電話番号0740-28-1010
電話受付時間 9:00〜20:00
※月初めの営業日に電話にて予約受付(2ヶ月先まで)
URLhttps://korian.jp/
休業日火曜、第1・3水曜


 

鮒寿し 魚治


所在地滋賀県高島市マキノ町海津2304
アクセスJR湖西線「マキノ駅」から徒歩約19分、国境線バス「海津3区」下車
電話番号0740-28-1011
電話受付時間 9:00〜20:00
URLhttps://uoji.co.jp
休業日火曜、第1・3水曜


 
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