元映画館「ロマンス座」に突如現れた鍵のかかった無人の本屋さん


日本有数の観光地である静岡県熱海市。近年では若者を中心に人気が高まり、新しいお店がどんどん増えている。昔ながらのレトロな雰囲気を残す商店街と、モダンなカフェやお食事処が融合し、新旧入り混じった独特の雰囲気が魅力だ。
そんな熱海の商店街のなかに、鍵のかかった不思議な本屋がある。熱海の代表的な商店街「熱海銀座通り」を抜けたロマンス通りにあるお店で、店名は「ひみつの本屋」。熱海の最後の映画館として親しまれた「ロマンス座」にあり、かつてチケット売り場だった場所をリノベーションして作られた。小さな窓から店内の様子を少し伺えるものの、扉を開けるまで全容はわからない。しかもなかに入るには、まちで鍵を手に入れる必要がある。
謎に包まれた本屋「ひみつの本屋」。運営しているのは、東京在住の田坂創一さんと渡邉沙絵子さんのお二人。都内の設計事務所に勤務する田坂さんと、当時沼津の職場に東京から通っていた渡邉さんが出会ったのは、ロマンス座の一角にある宿泊施設「ロマンス座カド」の立ち上げに関わったことがきっかけだそう。

「ロマンス座カドは“物語が生まれる宿”として企画されていた施設だったので、当初から『近くに本屋がほしい』と周りにずっと言っていたんですよね。ロマンス座カドが始動した数年後にたまたま物件が空いて、声をかけてもらったことをきっかけに始めました(渡邉さん)」
都内でシェア本屋の設計と運営に携わっていた田坂さんとともに、本屋のオープンを目指すことになった渡邉さん。しかし二人とも都内で働いていたため、熱海に足しげく通うことはできない。どう運営するか模索した結果、完全無人の書店にすることに決めた。

「ほかの無人書店を参考にしたり、実際に話を聞きに行ったりしながら考えるうちに、『鍵をかけたらおもしろいのではないか』という話になって。鍵を探してお店に入るという、わくわく感とドキドキ感のあるお店を目指しました。熱海のまち自体もおもしろいお店が増え、どこに行くにも冒険心をくすぐられる地域になってきています。そんなまちの雰囲気にも、当店は合うのではないかと思っています(田坂さん)」
じつは店内のいたるところに、本をモチーフにした仕掛けやメッセージが潜んでいる。
じつは店内のいたるところに、本をモチーフにした仕掛けやメッセージが潜んでいる。

「ひみつの本屋」からはじまるあなただけの物語


書店の本は、二人の蔵書や知り合いから寄贈された本からセレクト。田坂さんは美術書やデザイン本、渡邉さんは小説や文学をメインに選んでいるという。最近では新刊本も徐々に増やしている。観光客が多いエリアだからこそ、お金や仕事などをテーマにした、読む人を日常に引き戻してしまうような本はあえて置いていない。
本は3冊まで店外に持ち出せて、気に入ったら購入することも可能。完全無人の店舗なので、買う場合はセルフ会計。
本は3冊まで店外に持ち出せて、気に入ったら購入することも可能。完全無人の店舗なので、買う場合はセルフ会計。
「最初に掲げていたコンセプトは“あなたしか知らない物語の一頁をあなたに”。本と一緒にまちをめぐる旅を楽しんでもらいたいという気持ちを込めています。その旅の主人公は、まぎれもなく“あなた”です。
 
熱海には老舗の喫茶店や温泉を楽しんだ後の休憩室など、本を読める場所がじつはたくさんあります。いつもと違う場所で本を読むと、新しい気づきや出会いがあるかもしれません。SNSやガイドブックなどで紹介された旅路をトレースするような旅行は、思わぬ出会いや、地域の人との関わりなど偶然が入り込む余地がないと感じます。自分が予想しないような物語が始まるきっかけを当店で作ることができたら嬉しいです(田坂さん)」そんな田坂さんが旅にまつわる本としておすすめしてくれたのが、サン=テグジュペリの『夜間飛行』。「南米大陸で、夜間郵便飛行という危険な仕事を担う人たちの挑戦を描いた物語です。今のようにレーダーのなかった時代に、周りに何があるかわからない状態で夜間飛行を行う不安が繊細に描かれています。このドキドキ感って、僕が旅に求めていることなのかなと思っています。旅は冒険であったほうが楽しいと思う気持ちがどこかにあるのかもしれません(田坂さん)」

旅に本を必ず持っていくと話してくれた渡邉さんが選ぶ一冊は、内田百閒の『阿房列車』。「百閒が目的のないまま、鉄道の旅を楽しんだ様子が描かれている本です。私も、自分のことを“ほんのりとした乗り鉄”だと公言するほど列車が好きで。百閒のように何も目的がないのにふらっと旅に出たり、そろそろ電車に乗りたいという思いのまま行動したりなど、ただ旅に出るという行為を楽しんでいます。百閒が車窓の景色を楽しむ気持ちにも共感しますし、その描写もとても好きです(渡邉さん)」
鍵がないと入れない「ひみつの本屋」。その鍵は近くの飲食店や宿泊施設など、複数の店舗に置かれているという。

「今はまちづくりに関わる知り合いのお店や、紹介していただいたお店に鍵を置かせてもらっています。お客さんが鍵を受け取る過程でも、新しいコミュニケーションが生まれるとおもしろいですよね。お客さんは新しいお店を知るきっかけになるし、お店側も新しいお客さんに出会うきっかけになり、新しい物語が始まる可能性も広がります。そんなうれしい相互作用が生まれるお店になっていきたいですね(渡邉さん)」「ひみつの本屋は物語を扱う場所」と最後に話してくれたお二人。最近では“取るに足らないものたち”と題して、お二人が見つけたものをメッセージとともに販売する活動を始めたそう。たとえば「異国の鍵~いつかどこかの旅先で出会う扉がこの鍵で開くかもしれない」というメッセージが添えられたアンティークの鍵は、想像力が掻き立てられ、本当にここから物語が始まりそうな胸の高鳴りを感じられる。
進化を続ける熱海は、さらにおもしろく、わくわく感があふれるまちになってきている。その冒険の入り口のひとつとして、「ひみつの本屋」の扉は、今日もあなたの物語が始まるのを待っている。



Text:Ayumi Otaki
Photo:Shinya Tsukioka



いつもと違う静岡県観光には、熱海市の〈ひみつの本屋〉がおすすめ。

ひみつの本屋


所在地静岡県熱海市銀座町8-13 ロマンス座 1F
アクセスJR熱海駅から徒歩約15分
URLhttps://books.himitsuno.jp/

※記事中の商品・サービスに関する情報などは、記事掲載当時のものになります。詳しくは店舗・施設までお問い合わせください。