背戸道の奥にある美容室と本屋とカフェのお店


真鶴町は、神奈川県で2番目に小さなまち。相模湾の西端にある港町は、江戸城の石垣に使われた小松石の産地でもある。良質な石で山の斜面に石垣や石段を築くことができたからだろうか。港を中心としたすり鉢状の斜面都市となっている。地形を生かしたまち並みには、曲がりくねった狭い小道が現在も多く残る。まるで家と家の背戸(裏口)を結ぶように敷かれた小道を、真鶴の人たちは「背戸道(せとみち)」と呼んでいるそうだ。今回訪れた〈本と美容室〉も、JR真鶴駅から4分ほど歩いた背戸道の奥にある。美容室と本屋とカフェの複合店舗で店長を務める高山紗季さんに話を聞いた。
「ここに来る前は東京・原宿で美容師をしていました。あるとき雑誌の特集を見て、真鶴に旅行に来たんです。第一印象は「田舎の港町」という感じでした(笑)。そのとき泊まれる出版社〈真鶴出版〉に泊まったんです」。
〈真鶴出版〉では、宿泊客や移住希望者向けに、まち歩きツアーを行っている。「2時間くらいまちを歩くんですが、参加したときに【まちづくり条例】と【美の基準】の話を聞いて。例えば『実のなる木』というキーワードは『実のなる木を見てうれしくない人はいない』という理由で挙げられているんです。そういう話を聞くと、家の庭にあるミカンの木にも感動するというか。教えてもらう前と後で、まちの見え方が変わりますよね。バブル期の『新しいものが最高だ』という時代に、変えないことを選んだことで、まちの景観が守られているんだなあと」。

自分にできるやり方で、まちづくりに関わっていきたい


〈本と美容室〉は、神奈川県三浦市の三崎口にある出版社〈アタシ社〉が運営している。同社が三崎口で営む〈花暮美容室〉も1階が蔵書室、2階が美容室という営業形態。真鶴に姉妹店の出店を計画していた時期に、まち歩きツアーに参加した高山さんと出会った。高山さんは現在、神奈川県内の別のまちに暮らしながら、真鶴に通って〈本と美容室〉を切り盛りしている。
「美容室には、まちの人、真鶴への旅行客、原宿時代のお客さんも何人か来てくれます。髪を切りながら、1対1で2人きりの時間を過ごしていると、深い話をしてくれるお客さんもいます。私は真鶴で働いている人だけれど、真鶴に暮らしている人じゃない。そういう距離感が話しやすさにつながっているのか、まちの情報が集まってくる感じもあります。例えば、チラシを作りたいというお客さんがいたら、『こういう人がいますよ』と写真家を紹介してみたり。私はここで髪を切りながら、自然な形でまちづくりに参加できているような気がします」。美容室に行く人なら、雑誌や書籍を手渡される経験もよくあるのではないだろうか。〈本と美容室〉の選書は、〈アタシ社〉と交流がある長野県松本市の本屋〈栞日〉が担当しているが、そこには高山さんの意見も反映されている。

「美容室のお客さんには、こういう本を気に入ってくれるかもしれない。と考えて手元に置くようにしています。選んだ本に興味を示して手に取ってくれると、うれしいですよね。先日はヘアカラーの待ち時間に読んでいた本の続きが気になるからと、買って帰ったお客さんもいました。そんなこともあって、徐々に意見を取り入れてもらっています」。

そんな高山さんが選んでくれた旅に出る前に読みたい本は、ミュージシャン・曽我部恵一さんの「いい匂いのする方へ」というエッセイだった。
「曽我部さんはシングルファーザーで、3人のお子さんと動物と暮らしていて、その日常をつづったエッセイです。嫌なことから逃げてもいいし、やりたくないことを無理矢理やらなくてもいい。なんとなくいい匂いがするから、そっちに行ってみる。その一歩を踏み出すことが大切なんだと思える本です。私も一歩踏み出せたから、今の自分と出会えた気がしていますから。人生という旅路の岐路で迷ったとき、いい匂いのするほうを選ぶのは、とてもいい方法だと思うんです。〈本と美容室〉が何かに悩んでいる人の背中を押してあげられる場所になれたらいいし、私も背中を押してあげられる人でありたい。ここに来てくれた人が元気な気持ちを取り戻して、行動を起こしてみようかなという気持ちになってくれたらいいなと思いますね」。最後に、今後の展望について高山さんに聞いた。「実は、もうひとり美容師を増やしたいなと思っているんです。そのぶん私は外に出向いて行こうかなと。まちの方々に対しては、困りごとを手伝ったり、行事やイベントに参加したり。美容室のお客さんや観光でいらした方々に対しては、一緒にまち歩きをして真鶴のまちを案内したり。美容師とは関係ないことでも、このまちの変わらない営みを守っていくような手伝いをしていけたらいいなと思っているんです」。


Text:Atsushi Tanaka
Photo:Shinya Tsukioka



いつもと違う神奈川県観光には、足柄下郡真鶴町の〈本と美容室〉がおすすめ。

本と美容室


所在地神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴338-2
アクセスJR真鶴駅から徒歩約4分
電話番号080-4625-9138
Instagram@manazuru_book.hair
営業時間10:00〜19:00
休業日火曜

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