目的地にしたい料理屋【朔】

この日は雨が降ったり止んだりの、しっとりとしたお天気だった。目指すお店は三重県津市美杉町の山の中にある。JR松阪駅から車でのんびり50分、田んぼと山と雲出川、ときどき電車を愛でながら県道を行く。
この辺りかなとスピードを緩めたところで道沿いに看板が見えてきた。そこから山道へと向い、ゆっくり奥へ登っていく。「この道で合ってる? 本当に?」というアプローチは特別感のあるお店にはままあることだが、今回もまさにそう。途中、鹿が描かれた看板が出てきてほっとした。
車を停めて最初に目に入ってきたのは1頭の山羊と、庭を自由に歩き回る鶏たち。そしてその奥に、緑に包まれた建物がある。「日本料理・朔 saku」にようやく来られた。予約から二ヶ月後のこの時を、本当に楽しみにしていたのだ。
「よくいらして下さいました」とニコニコ迎えてくださった、店主の料理人・沓沢敬さんと妻で陶芸家・彫刻家の沓沢佐知子さん。ランチのみで営業するこのお店がオープンしたのは2015年。自作の作物と地元の山の幸、伊勢湾・熊野の海の幸が楽しめるローカルガストロノミーだ。
一枚板のカウンター席。くり抜いたような大きな窓があり、外の景色が眩しいくらい。もともと廃屋だった建物を敬さんが少しずつ手を入れ、形にしていったという。
 

自生している茶葉を手摘みしたお茶を使ったスパークリングティーが、この日のウェルカムドリンク。芳醇な香りに初っ端から感激する。

料理のメニューは「季節のおまかせ(9~10皿)」¥7,700(税込)のコース1種類のみ(内容は仕入れ状況や時期により異なる)。前菜は、鳥羽産サザエと美杉の山の幸の合わせ盛り・稚鮎の白扇揚げ・米ナスのオランダ煮・アマゴの握り・ほうれん草と水菜の胡麻よごしの5品。
敬さんは武蔵野音大大学院を卒業後、料理の道へ。アートの宿としても知られる那須の老舗温泉旅館「大黒屋」で日本料理を修行したのち独立。那須塩原の森の中で佐知子さんと共に「ギャラリー&バー 朔」を営んでいた。
窓辺に静かに横たわる鹿は佐知子さんの作品。息づいているような温かみがあり、そっと撫でたくなる。
窓辺に静かに横たわる鹿は佐知子さんの作品。息づいているような温かみがあり、そっと撫でたくなる。
佐知子さんはもともと三重の出身。実家近くを“奇跡の清流”とも呼ばれる銚子川が流れる環境で育った。

佐知子さんの故郷・三重県海山を流れる銚子川は日本でも有数の清流。その透き通るコバルトブルーを写した器に、炭火で1時間じっくり焼いた新鮮なアマゴが泳ぐ。頭から尻尾までガブッと、丸ごと。

お椀は空豆のスリ流し。伊勢湾の鰆と原木椎茸、蕪、モッツァレラチーズ、米団子に、香り高いジャバラをぱらり。絶品。

お肉は美杉在住の罠師・古田洋隆さんが仕留めた鹿肉のロースト、畑の野菜添え。「古田さんの鹿は間違いないです」(敬さん)。後ろ脚に罠が掛かると逃れようと暴れて肉に傷がつき、体温も上昇して味が落ちる。古田さんは、そうならないように罠を前脚で踏ませることが出来るというからすごい。
「私も那須は本当に大好きだったんですけど、やっぱりいつかは三重に帰りたいってずーっと言ってたんです。でもこの人(敬さん)に、“いま無理に引っ越さなくても、きっとなにかここっていうタイミングが絶対あるから、ちょっと待ってくれ”って言われていて。そんなとき東日本大震災が起きたんですね」(佐知子さん)

「ちょうど那須で家を建ててたんですよ。ハーフビルドみたいな感じで5年かけてコツコツやってて、最後の最後に自分の大工部屋に棚を作って、そこにスプレー缶を置く、っていうときにグラグラッときて」(敬さん)
二人のお子さんがまだ小さかったこともあり、さまざまな影響についてすぐにネットで情報を集めた。

「そしたらこの人がまた急に大工仕事し出して。何やってるかと思ったら、車に乗せるための山羊用の移動小屋を作ってるんですよ。それでもう、あっ山羊連れてみんなで行くんだなって。3月15日の朝には、家族で三重に着いていました」(佐知子さん)
那須から一緒に引っ越してきた先代山羊のシロちゃんが亡くなってすぐに、縁あって出会ったのがこのメイちゃん。気が向けば小屋の窓から顔を出してお見送りしてくれる。残念ながらこの日は会えなかったが、犬のゆうちゃんが自宅から遊びにくることも。
那須から一緒に引っ越してきた先代山羊のシロちゃんが亡くなってすぐに、縁あって出会ったのがこのメイちゃん。気が向けば小屋の窓から顔を出してお見送りしてくれる。残念ながらこの日は会えなかったが、犬のゆうちゃんが自宅から遊びにくることも。
その後もいろいろと検討を重ねた結果、移住という決断に至った。
「物件はネットで1,000軒くらい見たと思います。“水がきれい”、“自給できる環境”、“安い”の三つを条件にとにかく探して。京都とかも見てたんですけどなかなか条件が合わなくて。三重に絞って探したら、ふっとここが出てきて、まず一番安かった(笑)。それとなんとなく可能性を感じて、とりあえず下の古民家を見にきたんです。結局1,000軒探したけどここしか内見しないで決めちゃった(笑)。家っていうよりやっぱり川かな。あの川がよかった」(佐知子さん)

「子供らを放したら、もうずっと川に夢中なんですよ。ぜんぜん家なんて見てなくて(笑)。でもその反応を見てここに決めたっていう感じですね」(敬さん)
田んぼや茶畑、自宅を含む1,800坪の広大な土地。お店となっているこの建物は、生い茂った木々の中で幽霊屋敷のようなボロボロの状態だったという。
「最初から日本料理屋をやろうと思っていたわけではなくて、一旦すべてゼロにしてやりたかった。でもここを解体するときにあの竃が出てきて“じゃあご飯だな”、(罠師の)古田さんと知り合って“じゃあ鹿肉を出そう”、ってしていたらアマゴ屋さんともご縁があったりと、どんどんつながっていって。これは、どんな形であれ日本料理だなと」(敬さん)
 

締めのお食事は、自家栽培の白米と赤だし、糠漬け。ご飯はまずはそのままでいただき、2杯目はお焦げ。さらに3杯目は鹿肉丼か、菜種油と塩をかけたもの、お醤油をひと垂らしして炙った香ばしいご飯から選べる。きれいな水と空気の中で自然農法で育ったお米を竃(かまど)炊き。美味しくないはずがない。
とはいえやはり、最初からすんなり進んだという訳ではなかった。
「ここに手を入れるのと同時に経済的なことなんとかしないとと思っていたので、家のことをやりながらバイトをして生活していました。この人は教員免許を持っていたんで、そのうち地元で講師をやるようになって」(敬さん)

「いやなんかね、“無駄に時間を費やしてるな”っていう気がしたんですよ。(敬さんは)バイトであっても100%やってしまうから、下手したらそのままそっちに行ってしまいそうで。

でも私はもっと家のこと、中のことに真剣に向き合ってほしかった。だから私が外に出て働いて、この人にはここのことに集中してもらって。“どう生きていくか”ということに…なんで、4年くらいかかりましたね」(佐知子さん)
「震災の経験っていうのはやっぱりすごく大きくて。それまでの在り方も自分自身すごく反省したし、いろんなことに依存しすぎていたなと思っていた。だからこれからはもっと体を動かして、目の前のことに集中しようと思ったんです。身体が勝手に動いて山羊の小屋を作ったみたいに、身体の反応に素直に従うことが自分にとっては正しい、っていうのが分かって。そこからそれを基準に生きていこうと思うようになりました」(敬さん)
山の中で暮らしながらさらに飲食店を営む。それは自然と本当の意味で共存するということ。沓沢さんたちは当然のように、生活排水を極力出さないことを徹底している。
「川の水を200メートル引っ張ってきて、それがそのアマゴが泳いでいる生簀に入るんですよ。で、そこからオーバーフローした水は洗い物に使っているんですが、それは排水溝から田んぼに流れていきます。洗剤は一切使いません。残飯が出ても生き物が食べてくれるし、そのことで生まれるミネラルたっぷりのいい水が山羊の飲み水になって、最後は川へ帰るっていうシステムになっています。いろんな生き物がワイワイすることで自然の浄化槽みたいな感じになるといいなと。まあ素人の配管なんで限界がありますが…」(敬さん)
鶏たちは庭だけじゃなく店内でも自由に過ごす。ストレスがないのだろう、福々と丸くトサカの色も羽ツヤもよい。「4時半になると自分で小屋に帰るんですよ。カエル食べたりおたまじゃくし食べたり、元気ですね。残飯も雑草も食べてくれるし」
鶏たちは庭だけじゃなく店内でも自由に過ごす。ストレスがないのだろう、福々と丸くトサカの色も羽ツヤもよい。「4時半になると自分で小屋に帰るんですよ。カエル食べたりおたまじゃくし食べたり、元気ですね。残飯も雑草も食べてくれるし」
人と生き物が間に入ることで、より良い状態にして川に水をお返しする理想の循環システム。

「山をお借りしている身ですから。こんなところで営業していて、汚れた水を川に流すっていう時代じゃない。ましてこんな上流で汚してどうすんのって話で。でもこういう場所だからこそ、そんなようなことが出来ているんですけどね。
結局、“場”の力なんですよ。この場をどう活かすか、料理を含めてどう演出するか。自然に鳥の声がして、沢や雨の音が聴こえてきて…ってこんなふうに五感で感じながらものを食べることってなかなか出来ないじゃないですか」(敬さん)
デザートは隣の部屋へ移動し、景色を変えていただく。
デザートは隣の部屋へ移動し、景色を変えていただく。
自然の中で、閉じていた感覚を少しずつ覚醒させていくこと。料理と一緒に、その場が持つパワーを分けてもらうこと。そうしてニュートラルな自分を取り戻して、また日常に戻っていく。
 
水菓子は自生のニッキと豆乳のゼリーに茶葉ソースをかけたもの。

自家製ヨーグルト入りクッキーと茶葉入りクッキーは、お茶と一緒に。こちらは近くのお菓子屋さんにオーダーしている。
「朔って新月という意味ですが、私たちのお店に来てゼロに戻ってもらえたらという意味を込めてつけた名前なんです。お客様でも『ここがあるから仕事して生きていられる、私』っていう方、山からエネルギーもらったから明日から頑張れるという方、多いんですよ」(佐知子さん)
営業時間は土曜日から火曜日のランチ2回転制(11時30分~/13時15分~)。毎月1日の朝9時から2ヶ月後の電話予約を開始する。カウンター6席のみなので基本的には狭き門だが、稀に1~2席ぽこっと空いている回もあるとのことなので電話でお問い合わせを。
営業時間は土曜日から火曜日のランチ2回転制(11時30分~/13時15分~)。毎月1日の朝9時から2ヶ月後の電話予約を開始する。カウンター6席のみなので基本的には狭き門だが、稀に1~2席ぽこっと空いている回もあるとのことなので電話でお問い合わせを。

湿気をまとった濃い緑や水滴のきらめきが朔の景色を際立って美しく見せてくれたように感じて、雨でよかったと思った。でもすぐにイヤイヤと思い直す。晴れていても曇っていても、いつだって、ここは佳いのだ。山の神様のような目に見えない存在に、“ここを管理せえ”と言われていることに気づいた、と言う敬さん。こちら側の非日常を日常にして生きるふたりが供する特別な空間。

今日はもう、ここで過ごした時間で1日を終わらせたい。余韻に浸って舌も感覚も更新したくない。そんなお店に出会えたことが、この上ない幸せだ。


Text: Kei Yoshida
Photo: Hako Hosokawa



いつもと違う三重県観光には、津市美杉町の〈朔 saku〉がおすすめ。

朔 saku(さく)


所在地三重県津市美杉町八知3541
アクセスJR松阪駅から車で約50分
JR名松線 伊勢鎌倉駅から徒歩約20分
電話番号080-6928-3939
URLhttps://saku.jp.net/
営業時間11:30〜16:30(11:30〜/13:15〜の2回・完全予約制)
休業日水曜、木曜、金曜


 
※記事中の商品・サービスに関する情報などは、記事掲載当時のものになります。詳しくは店舗・施設までお問い合わせください。