30年続いた本屋があった場所で、新たに始めた絵本の専門店


江戸時代から繊維産業が盛んで「いとへんのまち」として知られる浜松市。日本各地にある紺屋町という町名は、染物商(紺屋)が多く住む地区に由来するという。浜松市中区紺屋町。JR浜松駅から歩いて約15分、江戸の名残を名前にとどめるまちの一角に、星野紀子さんがオーナーを務める〈キルヤ〉がある。フィンランド語で「本」という意味を持つ絵本専門店だ。
この場所には以前、児童書など子ども向けの本を扱う本屋があった。30年を機に店主が引退すると聞き「この場所で絵本の店をやらせてほしい」と申し出た。「昔から絵本は好きでしたが、まさか仕事になるなんて」と星野さんは当時を振り返る。OKをもらい、前のお店が閉まってから1か月半で新しい絵本の専門店をオープンさせた。2009年のオープンから13年、本棚は前の本屋から譲り受け、現在も大切に使っている。星野さんが見つけてきてお店の真ん中に置いた大きなテーブルでは、お客さんにお茶を出していたこともあるという。「気軽に寄れる居場所みたいな感じですかね。特に意識したわけではないのですが、なんとなく待ち合わせ場所として使われるようになっていって。地元のアーティストやミュージシャンが、たまたまここで知り合って、人間関係を広げていく場面もたくさん見てきました。最近は浜松にもフリースペースやカフェが増えてきて、居場所という役目も一段落と感じています」。店内には絵本のほか、地元作家の作品を展示するスペースも設けられている。

自分が、お客さんが、そして絵本たちが、居心地よく過ごせる空間


〈キルヤ〉には、星野さん自身が「いいな」と思う絵本が並ぶ。「知らない絵本ばかりと言われることもあります。でもお店の個性を出そうと『どこの本屋さんにもある絵本は置かない』というわけでもないです。流行に惑わされず、本を選ぶ自分の感覚を大切にしています。だから、ほんとうに好きな絵本だけですね」。だからだろうか、〈キルヤ〉の客層は幅広い。「子ども連れもいますが、絵本が好きな大人や遠方から来てくださる方もいます。『あ、こういう人が来てくれるんだ』という発見でしたね」。お店の前はなだらかな坂道になっていて、通りかかりに手を振ってくれる人もいる。そんな日常の出来事に、喜びを感じる。
旅に出る前に読みたい本。星野さんが選んだのは、ロシア出身のノーベル文学賞受賞詩人ヨシフ・ブロツキーの詩に、国際アンデルセン賞画家賞を受賞したイーゴリ・オレイニコフが絵をつけた「ちいさなタグボートのバラード」。タグボートは、小回りのきかない大型船の停泊や出港を補助する船。港湾内から出ることはない。主人公のタグボートに共感すると星野さんは話す。「遠くから友達が浜松に来たら、やっぱり一緒に出かけたいじゃないですか(笑)。主人公のぼく(タグボート)は、いつか遠くの海に行ってみたいという憧れと、他の船のために港に残らないといけない使命感、どちらも持っているんです。『わかるなあ』と。ちょっと切ない話ですが、読み終わると無性に旅に出たくなる一冊です」。大阪出身の星野さん。浜松の印象は、適度に都会で適度に田舎なことと、住みやすいこと、そして、人の優しさだという。「仲のいいお店もたくさんできました。よくカフェで朗読会を開かせてもらいます。今度、新しくできたはちみつ屋さんで出張販売と朗読会をさせてもらう予定です。周りの人にとても助けてもらっています」。
しかし、オープン当初は、絵本が好きなお客さんだけを相手にしていても広がらないと感じたという。そこで星野さんは、以前の勤め先で担当した店舗プロデュースやイベント企画の経験を生かして、〈キルヤ〉でイベントを行うようになった。「ワークショップや音楽ライブ、個展や展覧会など絵本とは違うものです。イベント目当てで来てくれた人が絵本に触れたり、普段絵本を買いに来る人が違うことに触れてくれたりできたらいいなあと思ったんです」。いろいろなことをやってきたが、もっとも大切にしているのは、やはり絵本だという。「自分にとって、お客さんにとって、そして何よりやって来た絵本にとって、居心地のいい空間にしていきたいです。絵本たちが『ここに来てよかった』と思ってくれることが一番なので」。店内には星野さんが好きだというキノコの小物があちらこちらに置かれている。お店をしていると、楽しくて幸せなこともあれば、苦しくてどこかに行ってしまいたくなることもあるという。それでも〈キルヤ〉を続けていくのは「私の表現・生き方だから」と星野さんは言う。多くの地域の人たちに愛される理由もわかる気がする。


Text:Atsushi Tanaka
Photo:Shinya Tsukioka



いつもと違う静岡県観光には、浜松市の〈絵本の店 キルヤ〉がおすすめ。

絵本の店 キルヤ


所在地静岡県浜松市中区紺屋町300-10
アクセスJR浜松駅から徒歩で約15分
電話番号053-477-2687
URLhttps://kirja.exblog.jp/
営業時間12:00 - 18:00(月,木,金)、11:00 - 18:00(土,日,祝日)
休業日火曜、水曜

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