たくさんの人たちに支えられて、本屋をやることに
愛知県と長野県とに隣接する岐阜県恵那市は、面積の8割近くを森林が占める自然豊かなまち。市内には木曽川が流れ、名勝・笠置峡が有名だ。近年は、東京五輪でポーランドチームが合宿をしたことでカヌーも流行っていたり、大きな岩が点在することから笠置山がロッククライミングの聖地と呼ばれたりしている。今回訪れた〈庭文庫〉は、築100年以上の山の中の古民家を改装した本屋。JR中央本線と明知鉄道明知線が乗り入れる恵那駅から約10km、駅からクルマで約15分ほど走ったところにある。店主の百瀬雄太さん、実希さんが迎えてくれた。
恵那市は、雄太さんの故郷。以前は東京でシステムエンジニアとして働いていたが、会社を辞めて地元に帰ってきた。ほどなくして実希さんも移住した。本は好きだが、どうしても本屋をやりたいわけでもなかった。「結婚して子どもができても、2人で一緒にできる事業やお店を考えていたんです(実希)」。そんな中で、 地域の人たちとの出会いに助けられたという。たくさんの人が、読まなくなった本を無料で譲ってくれた。「最初は地域の方から譲ってもらった本を中心にお店に並べていました。その後は徐々にぼくが売りたい本を仕入れたり、お客さんのリクエストに応えたりして、本屋らしくなっていきました(雄太)」。また、古民家を生かしたお店づくりは、近所でお店を営む先輩からアドバイスをもらったりした。本やお店をきっかけに、地域の人とのつながりが広がり、今では恵那駅周辺の書店員もお客さんとしてくるようになっている。
知られざる才能を、世に出していきたい
本屋を始めるにあたって、実希さんは決めていたことがある。それは、できるだけお金をかけずに始めること。本棚として使っているたんすや家具も、地域の人たちから譲り受けた物を中心に使っている。「もらった物をブリコラージュのような感覚で、寄せ集めて組み合わせて使っています。お店自体も設計図通りじゃなくて、庭みたいに変化があっていいし。そのほうがおもしろいので(雄太)」。みんなが楽しくなるように、どんどん変わっていく。〈庭文庫〉の大きな魅力のひとつだ。雄太さんが感銘を受けた本(中島智・著「文化のなかの野性―芸術人類学講義」)を1,000冊売るキャンペーンを仕掛けたり、クラウドファンディングで資金を集めて出版レーベル〈あさやけ出版〉を立ち上げたり。活動は、型にはまらない。現在は、宿泊施設の許認可を取得し「泊まれる古本屋」を準備中だという。
2人に旅と本というテーマで、自由に本を選んでもらった。石原弦さんの詩集「石」と「聲」。〈あさやけ出版〉から出した2冊だ。2人にとって、出版レーベルという新しい旅路のはじまりとなった。作者の石原弦さんは、恵那市で働く養豚農家。あるとき20年近く書きためた詩を「ここなら読んでくれるかな」と持ち込んできた。「弦さんの詩は、人と自然を見つめる中で生まれる静かな祈りのようで、素晴らしかった。ラッキー!と思いましたね。本をつくれるぞ!と(雄太)」。造本を担当した新島龍彦さんとは、お店で出会った。「お客さんとして遊びに来てくれて『こういう本をつくりたい』みたいな話をしたんです。そしたら『やりたいです』と言ってくれて。後日あらためて東京に行ってお願いしました(実希)」。1ページ目に入っている手すきの美濃和紙は、新島さんが紹介してくれた柳川杏美さんによるもの。ここで本屋を始めたから出会えた人がいて、つくれた本がある。「聲」は全国流通だが「石」は〈庭文庫〉の店頭とWebのみで販売している。「手に取って買えるのは、ここだけなので、それも旅っぽいですよね(雄太)」。
出版レーベルの今後について雄太さんは「自分たちらしく、のんびりやっていきたい」と話す。「いろいろなやり方があるけれど、出したい本しか出したくないというか。今の時代も宮澤賢治みたいに、知られざる天才っていると思うんです。そういう人の仕事を世に出したい!という思いは強くなっています(雄太)」。ベストセラーは、おもしろい本の指標の1つに過ぎない。「売れている/いないに関係なく、おもしろい本を紹介していきたいですし、ベストセラーだけじゃない本屋であり続けたいです(実希)」。
古い日本家屋を改装している〈庭文庫〉。土間でライブを開いたり、廊下で絵の個展をしたり、「まだ知られていない才能を世に出していきたい」と、出版に限らない活動もしている。雄太さんは「みんなが自分らしく楽しく生きられたらいい」と言う。文章を書くことが自分らしい人もいれば、絵を描くことが自分らしい人もいる。そういう人たちとのつながりを大切にしているのだ。「本屋さんのいいところって、何も買わなくても行っていいところじゃないですか。お金がなくてもいいし、なんとなく行ってもいいし、ただのんびり過ごして帰ってもいい。ここがそういう選択肢になったらいいなあと思います(雄太)」。
Text:Atsushi Tanaka
Photo:Shinya Tsukiokaいつもと違う岐阜県観光には、恵那市の〈庭文庫〉がおすすめ。
庭文庫
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