東京都新宿区市谷加賀町(駅名などは市ヶ谷と表記)。すぐ近くの飯田橋や神楽坂、そして江戸川橋なども含めてこのあたりは、地場産業として印刷業が発展し、製版所や製本所なども古くから多くあります。その市谷で広大な敷地を持つ大日本印刷株式会社(以下DNP)の一角に、一際目立つクラシックな建物がありました。
こちらはDNPが運営する〈市谷の杜 本と活字館〉。「リアルファクトリー」をコンセプトとした本づくりの文化施設だそうです。2021年の2月にグランドオープンしたこの施設について、コーポレートアーカイブ室の竹馬季之さんと関川伸一さんにご案内いただきました!
何と言っても気になるのはこの建物。こちらは1926年に建てられた工場の営業所棟を修復・復元したもの。空襲の激しかった新宿区で、焼失をまぬがれたこの建造物自体が貴重だということで、DNP市谷地区再開発計画の一環として創建当時の姿に戻して活用することにしたそうです。新しく建て直すのではなく、修復・復元する。個人的に歴史のある建造物に惹かれる身としては、このような話はとても嬉しくなります。
〈市谷の杜 本と活字館〉のテーマは活版印刷と本づくり。メディカルやエレクトロニクス製品など現在では多岐にわたる事業を行うDNPですが、その創業の原点である「活版印刷と本づくり」を産業遺構として生きたカタチで後世に残そうとつくられた施設だそうです。そして、館内の機械は全て動かせる状態に整備されているのだとか!
中に入ると、まさに「印刷所」そのもの。かつての印刷工場を一部再現しているということで、活字棚がズラーっと並んでいる風景は、当時を知っているわけでもないのに何だか懐かしい気持ちに。立派な印刷機も鎮座していて、制作現場の様子がうかがえます。
1階では活版を使った印刷の工程を見学することができます。工程は大きく6つ(作字、鋳造、文選、植字、印刷、製本)に分かれて、まずは文字を作るところから。活版印刷というと活字をたくさんの中から選んで…という光景が浮かびますが、まずはその活字を作るところから始まります。当たり前と言えば当たり前なのですが、パソコンやスマホで簡単に文字を表示することに慣れた今ではすごいことに感じます。
手書きで活字の元となる「原図」をつくり、「パターン」をつくります。「パターン」をパントグラフの原理を使った彫刻機にかけ、活字を鋳造する「母型」を作ります。その「母型」を鋳造機にセットして、高温に溶かした鉛合金を流し込んで活字を鋳造します。できた活字は活字棚に並べられます。
活字棚は横から見ると馬の背のように見えるので「ウマ」と呼ばれるそうです。専門的な分野でのみ使われる言葉って面白いですよね。その「ウマ」から原稿に合わせて活字を拾っていくのが「文選」と呼ばれる作業ですが、かつての職人さんは3秒で1つ(早い!)の活字を拾っていくことができたそうです。活字の並び方にはルールがあって、ひらがなは真ん中、よく使う漢字は「大出張」、その次に使用頻度が高い漢字は「出張」、その次は「小出張」。部首の画数と使用頻度ごとに分類されており、素早く文字を拾うための工夫があります。こういうアナログ作業ならではの工夫にも何だかグッときます。
拾った文字を印刷の版へと組み上げていくのが「植字」。罫線、記号、ふりがななどもここで入ります。「植字」は普通に読めば『しょくじ』ですが「食事」と間違えないように職人は『ちょくじ』と呼んでいたそうで、また印刷現場ならではのエピソードが!
そしていよいよ印刷へ。〈市谷の杜 本と活字館〉には100年前ぐらいのものだと思われる平台印刷機があり、実際に動いているところをみることができます。
印刷された紙を丁合・製本して本づくりが完了。当時はきっとたくさんの従業員が忙しなく作業していたのだと思うのですが、なんだか時間がゆっくり流れているような気分で見学することができました。
2階は企画展を行う展示スペースと、ワークショップなどを行う制作室。活版で印刷された雑貨や印刷にまつわる本が並ぶ購買スペースもあります。
すると、とっても気になる機械を発見!
聞くとこちらは卓上活版印刷機で通称テキン。名刺やカードなど小さなものに使われる手動の印刷機だそうです。味わいのある雰囲気で何だかかわいらしいのですが、こちらを使って実際にしおりの印刷体験をすることができました!
インクをローラーで練りながら版に移し、短冊状の紙がのった板を版にぐっと押し付けて印刷ができます!実際に体験すると、いろいろ作ってみたくなってきます。あんな名刺やこんなカードや…と妄想は膨らむのですが、この施設はあくまで博物館的な役割で、実際に印刷を発注することはできません。代わりに…というわけではないとは思いますが、素敵なグッズがいろいろ販売されていました!
人気のカレンダーは(2025年版はすでに完売)、館内で印刷されたオリジナルのもの。2025年版は活版印刷でのグラデーション表現に挑戦することにしたそうで、グラデーションの風合いがひとつひとつ違います。
パソコン作業に慣れている我々にとってはグラデーションを作ることくらい簡単に思えてしまいますが、活版印刷は何せ手作業ですのでテクニックが必要です。この現代にそのような表現に挑戦する心意気が素敵ですよね。
お二人に案内していただき、とても印象的だったのは「活版印刷はものづくりの原点を感じることができる」というお言葉。
自分で手を動かして、自分で触って作る。子供の頃にはたくさん得られていたような喜びを、大人になってあらためて感じることのできる素敵な施設でした。
Text & Photo:tabigatari editorial departmentいつもと違う東京都観光には、新宿区市谷加賀町の〈市谷の杜 本と活字館〉がおすすめ。
市谷の杜 本と活字館
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