清流・長良川の源流が生まれる山々がそびえ、森林が約9割を占める岐阜県郡上市。そんな緑深い郡上市の山奥にある、2つの小さな集落を訪ねる。母袋(もたい)地域にある豆腐湯葉料理店「奥の奥」と、石徹白(いとしろ)地域にある「石徹白洋品店」で、郷土の伝統や先人の知恵を現代に伝える、豊かな食と衣の文化と出会う旅。

「奥の奥」で伝統食の燻り豆腐や引き上げ湯葉を味わう。


JR美濃太田駅から長良川鉄道に乗って郡上八幡駅へ、さらに車を30分ほど北へ走らせる。窓の外は霧のような雨が降り、山の端に薄く雲がたなびいて、幻想的な景色が広がっている。山道を進み、本当にこの先に店があるのかと心許なくなったころ、ようやく「母袋工房」が現れた。
「母袋工房」は、郡上市大和町で1989年に創業した小さな豆腐店。鎌倉時代からこの地域で作られてきたといわれる郷土食の燻製豆腐を、現代の人の口に合うようにアレンジし、豆腐を地味噌に漬けてから桜チップで燻して作る「燻り豆腐」を中心に、豆腐やあげ、どぶろくなども製造している。その「母袋工房」のすぐ隣に、目的の豆腐湯葉料理の店「奥の奥」がある。古くはこの辺りに鎌倉街道が通っていたことから“旅籠料理”と銘打って、豆腐料理、季節の川魚、山菜などの地物を使ったコース料理で客をもてなしている。
店を訪れた客がまず楽しむのが、引き上げ湯葉だ。最大8名でテーブルを囲み、できたての湯葉が心ゆくまで食べられるとあって、遠方から訪れる客やリピーターで予約が絶えない。早速、テーブルへ。仕切られた木枠の中に次々とできあがっていく湯葉を箸ですくう楽しさといったら、たまらない。端から端まですくっても、気づくとすぐに次の湯葉ができていて、それをまた嬉々として引き上げる。
湯葉は、薬味を入れたポン酢につけていただく。張りたての湯葉は柔らかく、優しく、まろやかな豆乳の風味がふわりと口の中で広がる。反対に、しばらく木枠の中で放っておいた湯葉はやや厚みができ、しっかりとした歯応えが生まれて、これもまた美味しい。
湯葉を存分に堪能して奥の座敷に席を移すと、鮎の塩焼き、豆腐でんがく、よせ豆腐、煮物、天ぷらなどが美しく並んだ「街道弁当」とご対面。

天ぷらは、うどの新芽にみょうが、椎茸、豆腐、湯葉。ご飯には炒ってから擦ったえごまが混ぜ込まれ、甘みがあって香ばしい。素朴でありながら、この時季、この土地だからこそ味わえる料理ばかりで、心が浮き立つ。さらに木箱の3段の引き出しには、プチトマトと燻り豆腐、小豆菜のおひたしと燻り豆腐の味噌漬け、出汁がじゅわりと染み出すこも豆腐の玉子巻き。

燻り豆腐はスモークチーズのような滑らかさとほのかな薫香があり、郡上味噌に2カ月以上漬け込んだ味噌漬けはさらに口溶けが良い。お酒のあてにも最適だろう。
コース料理は「街道弁当」税込4,180円や「母袋会席」税込5,280円など3種類あり、すべてに引き上げ湯葉が付く。
コース料理は「街道弁当」税込4,180円や「母袋会席」税込5,280円など3種類あり、すべてに引き上げ湯葉が付く。
「燻り豆腐はもともと、囲炉裏の上に吊るした火天(ひあま)という木棚の上に豆腐を乗せて燻した保存食でした。カチカチに固くて、水で戻しても消しゴムみたいな食感だったものを、煮物にして冠婚葬祭などで食べていたそうです」と女将の筧紀子さん。
 そんな郷土食を地域の特産品にして守り続けようと、紀子さんの義父にあたる先代が豆腐づくりからはじめ、試行錯誤の末に商品化にたどりついた「燻り豆腐」。母袋という小さな集落で培われた食文化は、新たな知恵と工夫が加わって、今も大切に受け継がれている。
「奥の奥」という店名通り、まさに山の“奥の奥”にあるが、はるばる何度でも訪ねたくなる料理店だ。
「奥の奥」という店名通り、まさに山の“奥の奥”にあるが、はるばる何度でも訪ねたくなる料理店だ。

落差約60メートル、大迫力の名瀑。


石徹白へと向かう道中、かつて白山を開いた泰澄(たいちょう)大師が見出したといわれる「阿弥陀ヶ滝」に立ち寄った。
生い茂る樹々の中に続く遊歩道。雨足が強くなる中を、足元に注意を払いながら石段を上り、木立の中の細い道を進む。道の脇をザアザアと音を立てて流れる川。雨粒が滴り落ち、葉が揺れる。小さな白い花が咲いている。深緑、黄緑、薄緑…。樹木の緑が、すべて同じではないことに気づく。滝へ向かうわずか5分ほどの遊歩道が、五感を研ぎ澄ませ、凛とした厳かな世界へと導いてくれる。

そして、轟音とともに圧巻の滝が姿を現した。
絶壁に囲まれた滝の落差は約60メートル。とどまることなく、激しい飛沫をあげながら流れ落ちていく滝。あまりの迫力に圧倒され、茫然と見つめていると、滝と周囲の樹々や岩がぐぐっと迫ってきて、自分が大きな自然と一つになっていくような感覚に包まれた。辺りは昼間でも鬱蒼としてほの暗く、ひんやりとして澄んだ空気が漂う。
古くは白山信仰の修行の場として数多の霊拝者が身を清め、江戸時代には浮世絵師・葛飾北斎が「諸国瀧廻(しょこくたきめぐり)」で「木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧」として描いた名瀑。人々を魅了してきた神聖な滝は、いつまでも見つめていたいほど、美しかった。

先人の知恵を受け継ぎ、未来に伝える「石徹白洋品店」。


最後の目的地、郡上市の最奥の山間地域にある住民わずか200人ほどの集落、石徹白に辿り着いたときには、先ほどまでの雨が嘘のように青空が広がった。
この土地で昔から野良着などとして着られていた「たつけ」「はかま」「かるさん」「越前シャツ」「さっくり」という上下5つの民衣をもとに、現代の暮らしやファッションに合うようにリデザインした衣服を作り続けている「石徹白洋品店」。
店主の平野馨生里(かおり)さんは岐阜市出身。2007年に小水力発電の実験のために初めて石徹白を訪れ、すぐに移住を決めたという。

「ここに住む人たちが、生きる力にあふれていたんです。食べ物を作る、建物を直す、何でも自分たちでやる。それに信仰に厚くて、地域を誇りに思っていて。自分の土地を愛しているって、素晴らしいことですよね。こういう暮らしっていいな、と思って移住を決めました」。
手仕事ができる人たちと一緒にものづくりがしたいと、移住の準備期間に岐阜市で服飾学校に2年間通い、2011年9月に家族とともに石徹白へ移住。2012年5月に「石徹白洋品店」をオープンした。移住後、馨生里さんはここで生まれ育った80代のおばあちゃんたちから、野良作業で穿いていたズボン「たつけ」の作り方を教わった。そして、石徹白の民衣が布地を最も有効に使う直線裁断・直線縫いで作られているのは、先人たちの知恵や慎ましさ、自然への感謝の“心”があるからなのだと思い至った。

「無駄がなく、サスティナブルですよね。それを今の時代にフィットした服にアレンジすることで、この土地に継承されてきた“知恵”や“技術”を受け継ぎ、次の世代へと繋いでいきたいんです」。
服の素材となるオーガニックコットン、麻、リネン、デニムなどはすべて国産。広島県にあるデニム工場など、現地に赴いて製造過程を見学し、作られた背景が分かるものを選んでいる。生地はスタッフとともに自らの手で、草木や藍を使って染めている。桜、ハルジオン、マリーゴールド、栗、枇杷…。ずらりと並んだ服を手に取ると、植物や自然の中にこれほど美しい色が隠れていたことに驚き、愛おしくなる。藍染デニムの「たつけ」を穿いてみると、スリムなのに股部分に大きなマチが入っているため、腰やお尻のあたりにゆとりがあり、しゃがんでも圧迫されず、動きやすいことを実感する。さすが、野良作業に勤しむために生まれた先人の知恵が活かされている。新作の「さっくり羽織」も直線裁断で作られているため肩や脇がゆったりとしていて、窮屈さがない。リネンのさらりとした肌触りも心地よく、美しいドレープがふわりと揺れると、心まで軽やかになった。
「石徹白洋品店」の服は、石徹白だからこそ生まれた。

山深く、冬は雪深く、かつては峠を越えてようやく辿り着く秘境のような集落で、人々は逞しく生活を築いてきた。そんなこの土地の歴史や文化、風土、暮らし、知恵、記憶を纏う服。だからこそ、これからも幾度となく、わざわざ石徹白まで旅をして、お気に入りの一枚とめぐり逢っていきたい。
旅をすることは、いつもと違う世界に触れ、感じ、知ること。岐阜県郡上市の小さな集落で、その地の人々によって育まれ、受け継がれ、未来へと繋がっていく食と衣の文化を知る旅は、まちの喧騒を離れ、あたかも森林のなかで深く呼吸をするような、清々しい安らぎを与えてくれた。



Text:Naoko Takano
Photo:Makoto Kazakoshi



いつもと違う岐阜県観光には、郡上市の〈豆腐・湯葉料理 奥の奥〉〈阿弥陀ヶ滝〉〈石徹白洋品店〉がおすすめ。
 

豆腐・湯葉料理 奥の奥


所在地岐阜県郡上市大和町栗巣1670-1
アクセス郡上八幡駅から車で約30分
電話番号0575-88-3156
URLhttps://motaikobo.com/tofuryoriokunooku
営業時間11:30〜(前日までに要予約)
休業日月曜 ※冬季は休業


 

阿弥陀ヶ滝


所在地岐阜県郡上市白鳥町前谷


 

石徹白洋品店


所在地岐阜県郡上市白鳥町石徹白65-18
アクセス郡上八幡駅から車で約50分
電話番号0575-86-3808(平日10:00〜16:00 休日は0575-86-3360)
URLhttps://itoshiro.org/
※来店はWEBサイトより2日前までに要予約
※冬季は休業


 
※記事中の商品・サービスに関する情報などは、記事掲載当時のものになります。詳しくは店舗・施設までお問い合わせください。