湖国で出会う、ふたつの小さな船の旅。


毎日の暮らしの足として、非日常を味わう旅の目的として。今回は一見正反対の存在であるふたつの船旅に出る。船から見える景色や、そこで出会ったモノ・コトを心に留めれば、地元の「当たり前」の魅力を再認識することになるだろう。

琵琶湖の「離島」と水郷を巡る旅へ。

日本最大の淡水湖であり、その面積は約670k㎡、滋賀県の約6分の1を占める琵琶湖。約40万年前に現在の姿になったとされる世界有数の古代湖で、ここで育まれた淡水魚や貝類は、古くから湖国の人々の生活を支えてきた。今回はそんな琵琶湖のほとり、滋賀県近江八幡市で、湖の恵みを感じるふたつの船旅に出た。悠然とした景色ともに、湖国の暮らしや歴史に触れてみよう。

地元の人々が行き交う港から沖島へ。


まずは近江八幡駅から車で約25分の小さな港、堀切港から約10分の船旅に出る。行き先は、日本で唯一淡水湖内にある有人島、沖島だ。周囲約7kmの島に約230人が暮らしている。主な産業は漁業で、琵琶湖全体の漁獲量の半分を担う。

朝の堀切港では、漁船から漁師が魚を水揚げする横で、学生やサラリーマン、主婦など地元住民が慣れた様子で渡し船「沖島通船」を乗り降りしていた。通勤、通学、通院、買い物など日常的な理由で、沖島の人は対岸の近江八幡市街と行き来する。島に住む人々の日々の暮らしに、自家用船や「沖島通船」などの船は欠かせない。
「沖島通船」は1日12往復ほど運航。約1.5km沖合にある沖島へと向かう。
「沖島通船」は1日12往復ほど運航。約1.5km沖合にある沖島へと向かう。
出港すると、船はまっすぐ沖島に向かって走る。エンジンの音、豪快な波しぶき、空と琵琶湖を囲む山々の景色の移ろいに胸が躍る。
船から見る沖島は、思っていたよりも木々が生い茂る、自然豊かな島のようだ。
船から見る沖島は、思っていたよりも木々が生い茂る、自然豊かな島のようだ。

沖島の暮らしを見て、感じる。


沖島港に到着すると、湖沿いに軒を連ねる民家が目に入る。漁から戻った漁師が奥さんと共に使用した網を解き、せっせと干していた。漁業が盛んな沖島の暮らしを感じる光景だった。
山の麓と港とのわずかな場所にずらりと家が建ち並ぶ。
山の麓と港とのわずかな場所にずらりと家が建ち並ぶ。
島内を歩いていると目に付くのが、漁港周辺や民家の軒先に止められた三輪の自転車だ。自動車が走らない沖島での、主な交通手段はこの三輪自転車。畑仕事をしていたお母さんは「どこへ行くにもこれが便利」と話してくれた。「畑に出るときは道具も野菜も入るし、たくさん買い物しても荷物が入るからいいでしょう?」。止まっている三輪自転車のサドルには、ほぼもれなく四角い缶が被せられている。これは雨よけで、「ガンガン」の愛称で呼びならわされているとか。
荷カゴがビールケースになっているものや、鮮やかなカラーリングのものなど、個性豊かな三輪自転車が見られる。
荷カゴがビールケースになっているものや、鮮やかなカラーリングのものなど、個性豊かな三輪自転車が見られる。

〈おきしま資料館〉で、沖島のことをより深く知る。


2023年春、佃煮工場の跡地でオープンした〈おきしま資料館〉へ向かった。沖島の歴史や生活を伝える、伝統的な漁具や写真が展示される。
漁具漁法など専門家のアドバイスを受けて展示。このような展示は滋賀県内でここだけ。
漁具漁法など専門家のアドバイスを受けて展示。このような展示は滋賀県内でここだけ。
資料館の展示を案内しながら、「琵琶湖の漁師は時期によって商売替えをするんですよ」と話してくれたのは沖島コミュニティセンター長の小川ゆかりさん。沖島では多くの住民が漁業を生業にしており、漁師達は時期に応じて獲物や漁法を変えながら年中漁を続ける。アユ小糸漁の場合、アユの成長に合わせて漁網を変え、段々と網目の粗い漁網に変えるのだそうだ。目の粗さによって網の色を変えることで、管理をしやすくする。「漁網が干されると、色とりどりの糸が沖島を彩ってとても綺麗。沖島の夏の風物詩とも言える景色です」。
刺し網漁で使用される色とりどりの漁網。
刺し網漁で使用される色とりどりの漁網。
沖島の歴史や暮らしを伝える展示からは、それを次世代に繋いでいきたいと願う島民の想いも伝わってくる。

沖島のお母さんたちが作る湖国の味。


沖島漁港の目の前にある沖島漁業協同組合。一見業務用倉庫のような佇まいだが、この島を訪れる旅行客の多くがここへ足を向ける。そのお目当ては、建物内で営業する〈湖島婦貴(ことぶき)の会〉。沖島の漁師の奥さん達が中心となって営む店で、ランチやお弁当(要予約)、湖魚の佃煮などの郷土料理を販売する。現在は60〜74歳の16人が沖島のおふくろの味を伝えている。この日は快晴だったので、青空の下でお弁当をいただいた。高級魚であるビワマスの煮付けや、アユのフライ、ウロリの煮付けなど琵琶湖で獲れた新鮮な湖魚が盛り込まれたお弁当。きらきらと光る水面と対岸の長命寺山を眺めながらランチタイム。島ののんびりとした空気感の中で食べる、湖国の味がぎゅっと詰め込まれたお弁当は格別だった。
スジエビと大豆を甘辛く煮た「エビ豆」とジャガイモのコロッケなど、アレンジメニューも。
スジエビと大豆を甘辛く煮た「エビ豆」とジャガイモのコロッケなど、アレンジメニューも。
ちなみに島内を散策していると、男性の姿をあまり見かけないことに気がつく。実は日中は漁師が漁具の手入れをしたり、眠ったりしている時間帯で、夜になると起き出してまた漁に出ていくのだそうだ。

 

水運の要衝として栄えた沖島の歴史に触れる。

沖島港から徒歩約10分、階段を上った先にある「おきしま展望台」では、長命寺山から伊崎半島、鈴鹿山脈を一望できる。
沖島港から徒歩約10分、階段を上った先にある「おきしま展望台」では、長命寺山から伊崎半島、鈴鹿山脈を一望できる。
古代から湖上交通の要衝であった琵琶湖に浮かぶ沖島。飛鳥・奈良時代は航行の安全を守る神の島とされ、その後平安時代末期、保元・平治の乱の後は源氏の落武者が沖島に漂着して住み着いたのが始まりと伝わる。明治時代には石材産業の島としても栄え、最盛期には800人近くの人が暮らし賑わった。港から徒歩数分で「奥津嶋神社」や「西福寺」など、沖島の歴史を感じるスポットも見て回れる。小さい島だが、島内には小学校もある。1875年創立、現在の児童数15人の「沖島小学校」だ。沖島太鼓や遠泳会、鮒寿司作り体験など独自の活動もあり、のびのびとした校風に惹かれて島外から通学する児童もいるという。「沖島通船」の中に、子どもに向けた安全マナーや、小学校からのお便りが掲示されていたことを思い出した。

沖島の魅力を伝えるカフェでひと息。

ほどよく疲れたところで、カフェ〈汀の精(みずのせい)〉に入ってひと休み。ここでは沖島で採れたよもぎ茶や、自家製シロップを使った夏みかんソーダ、軽食、事前予約すれば沖島ならではの湖魚料理などが味わえる。琵琶湖を眺めながらまったりと過ごす贅沢なひと時だった。
「沖島産よもぎ茶」500円のほか、季節のドリンクも。写真は「夏みかんソーダ」(今季終了)。
「沖島産よもぎ茶」500円のほか、季節のドリンクも。写真は「夏みかんソーダ」(今季終了)。
「名物はやはり湖魚ですが、沖島の可能性をさらに探っていきたいんです」と話してくれたのは店主の奥村ひとみさん。沖島の郁子(むべ)と枇杷(びわ)の葉が入ったハンドクリームや、沖島の土と信楽の土をブレンドした陶器なども販売。ライブやワークショップなどのイベントも積極的に行っている。

「琵琶湖に囲まれた豊かな自然と人々の暮らしの両方がある。そんな沖島の良さをこれからも発信していきたいと思っています」
沖島で生まれ育ち、大阪でファッションデザインを学び、オーダー服の仕事を経てUターンした店主・奥村ひとみさん。
沖島で生まれ育ち、大阪でファッションデザインを学び、オーダー服の仕事を経てUターンした店主・奥村ひとみさん。
沖島は時の流れが緩やかで、スマホも時計もほとんど見る気が起こらない。都会の喧騒から離れ、トンビの鳴き声と風の音をBGMにぶらりと歩くだけでも心がほぐれていくようだった。近江八幡の港からたった10分ほどの「離島」は、とても遠くに来たような解放感を与えてくれた。
「沖島漁港」から北西に徒歩約5分の桟橋からは、琵琶湖の対岸にある比良山系が見える。
「沖島漁港」から北西に徒歩約5分の桟橋からは、琵琶湖の対岸にある比良山系が見える。

近江八幡の美景に触れる「水郷めぐり」へ。


沖島から堀切港に戻り、今度は近江八幡の中心方向へ車で約10分。島に暮らす人々の日常に触れる旅から一転、次は県内でも高い知名度を誇る観光地・近江八幡の水郷で遊覧の舟旅を楽しむ。

近江八幡は、安土桃山時代に、豊臣秀次が八幡山城を築城、城下町を開いたのが始まり。近江を治める中心地として発展した。秀次は琵琶湖と城の内堀(現在の八幡堀)を繋ぎ、琵琶湖を行き交う船を引き入れることで、近江八幡を近江国の経済の中心地にした。
かつて織田信長の築いた安土城があった安土山や、青々としたヨシ群落を眺めながらのんびりと過ごす贅沢なひと時。
かつて織田信長の築いた安土城があった安土山や、青々としたヨシ群落を眺めながらのんびりと過ごす贅沢なひと時。
琵琶湖の周辺には、土砂によって琵琶湖と隔てられた内湖が見られる。戦後の干拓によってその多くは失われたが、残存する中で最大の内湖・西の湖周辺は、かつて大小100ほどの内湖が存在したことを思わせる水郷地帯が今も広がっている。

「水郷めぐり」は、豊臣秀次が戦の疲れを癒やすため、雅な宮中の船遊びに似せて始めたことに始まる。風光明媚な近江八幡の自然に多くの人が魅了され、2006年には文化庁の「重要文化的景観」にも選定されている。
〈元祖近江八幡水郷めぐり〉の運営する水郷めぐりの乗船所。名産であるヨシを葺いた屋根にも注目。
〈元祖近江八幡水郷めぐり〉の運営する水郷めぐりの乗船所。名産であるヨシを葺いた屋根にも注目。

昔ながらの櫓漕ぎと和船に揺られて。


「水郷めぐり」のスタート地点は、豊臣秀次もこの場所で舟遊びを楽しんだという豊年橋から。伝統的な和船に乗り込むと、水路の狭さと水面の近さに驚く。櫓(ろ)と呼ばれるへの字形のオールと竿を巧みに操る船頭さんの操作で、細い水路を抜けていく。約4kmものルートを人の手で漕いで通行するのは全国でもここだけ。舟に身体を預けて近江八幡の美景を堪能する、小さな舟の旅に出発だ。

ヨシが群生する水郷の景色を楽しむ。


ヨシの生い茂る湿地の中、網の目のように走る水路の上を舟は進む。ヨシはイネ科ヨシ属の多年草で湿地帯を好み、かつては琵琶湖のあらゆるところで見られた。湖岸が整備された現在はその景色も失われつつある。ヨシ産業が盛んだった近江八幡では今もヨシの景観が大切に受け継がれている。
ヨシはすだれや衝立、屋根などの建材などに重宝された。織田信長の時代には年貢としてヨシが納められていたという記録も残る。写真提供:近江八幡和船観光協同組合
ヨシはすだれや衝立、屋根などの建材などに重宝された。織田信長の時代には年貢としてヨシが納められていたという記録も残る。
写真提供:近江八幡和船観光協同組合
古事記では日本の古名を「豊葦原(とよあしはら)の水穂国(みずほのくに)」と呼んでおり、水郷地一帯のようなヨシが群生する様は日本の原風景といえるのかもしれない。

春に芽吹き、夏には4m近くの高さまで成長、秋の深まりと共に黄金色に変化し、冬にはヨシの刈り取り風景が見られる。ヨシを美しく育てるため、刈り取ったヨシを焼く3月上旬の「ヨシ焼き」も近江八幡の風物詩だ。高く育ったヨシが両側から迫る水路を進めば、まるで小人にでもなったような気持ち。櫓漕ぎの音がささやかに聞こえるだけの舟旅は、自然の音を存分に楽しめる。風に揺れるヨシや飛び立つ水鳥の羽ばたき、魚が跳ねる音、虫の鳴き声…。自然と生き物の音に、静かなエネルギーを感じる。水路では地元の漁師が仕掛けた漁具もあちこちに見られる。水面に突き出た竹とペットボトルが目印の仕掛けはウナギ用。「水郷めぐり」が最も賑わうのは春。舟から見上げる桜並木は絶景だ。また、3月下旬、丈夫な新芽の芽ぶきを促すために行われるヨシ焼きも、目の前で行われるため迫力満点。季節によって異なる水郷の表情が見られる。
桜が美しいさくら堀。海外からの観光客も多い。写真提供:近江八幡和船観光協同組合
桜が美しいさくら堀。海外からの観光客も多い。
写真提供:近江八幡和船観光協同組合
今回案内してくれた船頭の久和俊彦さんに好きな季節を尋ねてみた。「私は11月くらいの秋が好きです。しんと静まりかえった水郷は心が洗われるようですよ」。

四季を肌で感じられるのも水郷めぐりの魅力。約80分間、舟に揺られて水郷の景色を楽しむことで、日本の自然の美しさを再認識する機会となった。
船に乗り合わせた人や沖島のお母さん、水揚げをする漁師さんなど…偶然出会った人となんとなく話をする感覚は、人と交流する楽しさを思い出すようだった。沖島で言葉を交わした地元の人に「もんてきて」と声を掛けてもらったが、これは方言で「帰ってきて」という意味らしい。琵琶湖の自然と人の優しさに触れ、心が温まった。



Text:Minami Mizobuchi
Photo:Masaki Hashimoto



いつもと違う滋賀県観光には、近江八幡市の〈沖島通船〉〈おきしま資料館〉〈湖島婦貴の会〉〈汀の精〉〈元祖近江八幡水郷めぐり〉がおすすめ。

沖島通船(堀切港)


所在地滋賀県近江八幡市沖島町
アクセスJR西日本琵琶湖線「近江八幡」駅からタクシーで約30分
電話番号0748-33-9779
URLhttp://www.biwako-okishima.com/sin-access.html
その他運航 1日10〜12便


 

おきしま資料館


所在地滋賀県近江八幡市沖島町346-18
アクセス沖島港から徒歩約10分
電話番号090-2424-6963
URLhttps://okishimashiryoukan.shiga-saku.net/
営業時間10:30〜15:30
営業日[4〜11月]
通常営業:土曜、日曜、祝日
平日予約制 ※臨時休業あり
[12〜3月]
全日予約制


 

湖島婦貴(ことぶき)の会


所在地滋賀県近江八幡市沖島町43 沖島漁業会館1F
アクセス沖島港から徒歩すぐ
電話番号0748-47-8787
URLhttp://www.biwako-okishima.com/shin-kotobuki.html
営業時間9:30〜16:00
休業日不定休
※冬季休業あり


 

汀(みず)の精


所在地滋賀県近江八幡市沖島町346-25
アクセス沖島港から徒歩約10分
電話番号0748-47-8848
URLhttps://mizunosei88.web.fc2.com/
営業時間10:30〜17:30
※予約制
休業日水曜


 

元祖近江八幡水郷めぐり


所在地滋賀県近江八幡市北之庄町880
アクセスJR西日本琵琶湖線「近江八幡」駅からバスで約10分
電話番号0748-32-2564
URLhttp://www.suigou-meguri.com/
出航時間乗合船 10:00〜/15:00〜
運航期間乗合船 4月1日〜11月30日の毎日
貸切船は期間中無休
※天候により運休あり ※繁忙期は臨時便あり


 
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