職人が集まって暮らす地域“上丹生”


JR米原駅から車で15分ほどの位置にある滋賀県米原市上丹生(かみにゅう)は、霊仙山のふもとにある自然豊かな地域。江戸時代から木彫り産業が盛んで、“仏壇づくりの里”または“木彫りの里”として知られている。彦根仏壇や長浜仏壇など、美しい彫刻や蒔絵などの装飾が施された仏壇が有名な滋賀県。特に上丹生の地に伝わる仏壇づくりは彫刻師や木地師、蒔絵師など職人の分業体制になっているのが特徴だ。上丹生では古くから職人が集まって暮らし、その伝統と技術を伝承してきた。今でも川沿いには多くの工房が立ち並んでいる。
そんな上丹生で、伝統工芸の技を受け継ぐ職人たちから学べる木彫り体験が実施されている。主催者は上丹生の若手職人が集まって結成した“上丹生ウッドペッカーズ”。「職人に学ぶ工芸体験」ではハンガーや鍋敷きのほか、アクセサリーやスプーンなど小型の木工作品もつくることができる。今回はこちらでハンガーづくりを体験することに。
 

工芸体験は地域の活性化をねらって


案内してくださったのは、上丹生ウッドペッカーズ代表の井尻一茂さん。井尻さんは昭和10年から続く井尻彫刻所の3代目。立体的な彫刻を特徴とする翠雲彫(すいうんぼり)の技術を受け継いでおり、2013年には大阪にある「なんばグランド花月」の看板を手がけた実績を持つ。
井尻彫刻所3代目、彫刻師の井尻一茂さん。
井尻彫刻所3代目、彫刻師の井尻一茂さん。
上丹生ウッドペッカーズは、石久仏壇店や中村彫金所など近隣の工房がタッグを組み、若手のメンバーを中心に構成されている。立ち上げたきっかけは米原市の協働事業で、インバウンド向けの工芸体験プロジェクトを企画したことからだった。

「集中して木を削る時間は、外国人の方曰く“瞑想”に近い状態だという意見を聞いたときに、インバウンド向けに工芸体験を実施したらおもしろいのではないかと考えました。ここ数年、日本家庭の仏壇離れが進み、需要が減っている実情もあったので、この伝統技術を活かせる取り組みがしたいと思っていたんです」
井尻彫刻所ではその技術を活かして、オリジナルの表札や看板などの制作も行っている。
井尻彫刻所ではその技術を活かして、オリジナルの表札や看板などの制作も行っている。
上丹生の職人は、現在では15人以下まで減ってきているという。受け継がれてきた伝統を絶やさないためにも、井尻さんは新しい取り組みに積極的に目を向けている。彦根仏壇事業協同組合のメンバーとともにつくった洋間にも合う新しいコンパクトな仏壇や、地元のデザイナーと共同開発した位牌型のペット用仏壇など、自由な発想でその技術を活かしている。
 東京をはじめ、県内外のイベントにも積極的に参加しているそう。地元の小学校や中学校で伝統工芸教室の講師を務めることも。彫刻の楽しさを知ってもらうことが、地域の活性化につながると考えている。もちろん「職人に学ぶ工芸体験」もその一環。
「上丹生の伝統や技術を知ってもらうきっかけになってほしいという想いで取り組んでいます」と井尻さん。「職人に学ぶ工芸体験」をきっかけに、彫刻が趣味になる方もいるそうだ。
 

自由につくれることが彫刻の醍醐味


今回は井尻彫刻所の工房で、ハンガーづくりにチャレンジする。ハンガーは彫れる部分が多いので、小型の彫刻作品に比べ、表現の幅が広い点が特徴。ワンポイントで模様を入れてもいいし、全体に柄を彫ってもいい。表現の仕方は自由だ。
「決まった模様や柄を彫るのではなく、参加する方が表現したいものを自由につくってもらいます。職人は都度、そのデザインを実現するための方法をアドバイスしていく流れです。みなさんのデザインから新しい表現方法が見つかることもあり、私たち自身も勉強になっています」
 事前につくりたいものを決めてくる人もいるし、携帯で画像検索をしながらその場でデザインを考える人も。工房にある作品を参考に、アレンジを加えて新しいデザインをつくる方法もある。

次に、つくりたいデザインが決まったら、鉛筆を使ってハンガーに下書きをしていく。直接書いてもよいし、トレーシングペーパーに描いてからカーボン紙で写す方法でもよい。
下書きをしながら、どんな彫り方で表現しようか思いをめぐらせる。

「単純に線をなぞってスジ彫りする方法もありますが、彫刻の醍醐味はやはり立体表現。ハンガーのような平面のものでも、中を削って段差をつけたり、角を丸めたりなど、彫り方次第で立体的にみせることはできます」と井尻さん。せっかくなので、立体的な表現にトライしてみることに。
本格的に彫り始める前に、端材を使った練習から。彫刻刀にはさまざまな種類があるので、まずは試してその違いを知ることが大切。職人が研いだ彫刻刀は切れ味抜群で、スーッと刃が通る感覚が気持ちいい。プロの道具をそのまま使えるのも上丹生の工芸体験ならでは。井尻さんが工芸体験のために考案したストッパー付きの専用の作業台があるので、初心者でも削りやすい。
練習したら、さっそく彫っていこう。デザインによって職人が彫り方をアドバイスしてくれるから安心。第一段階では、デザインの線をなぞっていく。曲線も、カーブのついた彫刻刀を使えば簡単。最初の段階で力を入れ過ぎてしまうと、木が割れてしまう可能性があるので、少し溝をつける程度の感覚で押し込むように彫っていく。
 溝をつけた部分に向かって、平刀を斜めに入れて彫ると、角の丸みがとれて線の印象が変わる。徐々に溝を深く入れながら、角を削っていくとさらに立体感が生まれてきた。一気に深く彫るのではなく地道に彫り進めていくことが、きれいに仕上げるコツでもある。
 
角に丸みを持たせるだけで、見える印象が大きく変わっていく。
角に丸みを持たせるだけで、見える印象が大きく変わっていく。
今回のハンガーの素材はアメリカ産のヒバ。木目が細かく、彫りやすい木材なのだそう。小気味よく「ザクッ、ザクッ」と削れる感覚が楽しい。静かな空間に木を削る音が響いて、不思議と集中力が高まっていく。自分だけの世界に没頭していく感覚は、確かに瞑想に近いものがある。
さらに深く彫り進めると、花びらのような立体感が出てきた。木目には順目と逆目があり、角度によっては削りにくいことも。ハンガーの向きを変えながら、彫りやすい角度を探していく。繰り返し作業をしていくうちに、だんだんとうまく彫れるようになってきた。集中して彫っていると、あっという間に時間が経過していく。工芸体験の参加者のなかには、2時間の体験では足りずに、体験時間の延長を希望される方もいるそうだ。
 最後にハンガーフックを取り付けたら完成。やすりを使って木の表面を磨く作業は、あえて工程に入れていないという。

「やすりをかけるともちろんきれいに仕上がりますが、表面が少し白くなります。木の本当の色や質感をぜひ感じていただきたいので、この体験ではやすりをかける工程はなしにしているんです」と話してくれた井尻さん。削った質感がそのまま作品の味になる。

モノづくりを楽しみながら上丹生の伝統を知る

プロの道具を使い、本格的な木彫り体験ができる上丹生の「職人に学ぶ工芸体験」。職人が丁寧に彫り方をアドバイスしてくれるので、思った以上の素敵なできばえになり、喜びもひとしお。実際に体験することで、木彫りの奥深さやモノづくりの楽しさを知ることができた。

「彫刻は彫り方次第でどんなものでもつくることができます。その魅力を体験を通して感じてもらえたら」と最後に話してくれた井尻さん。職人から実際にお話を聞けて、その技術を間近で見ることもできる上丹生の工芸体験。モノづくりの楽しさを味わいながら、伝統工芸の魅力に触れてみては。

 



Text:Ayumi Otaki
Photo:Yuki Arimitsu




 

いつもと違う滋賀県観光には、米原市の〈上丹生ウッドペッカーズ「職人に学ぶ工芸体験」〉がおすすめ。


上丹生ウッドペッカーズ「職人に学ぶ工芸体験」


所在地滋賀県米原市下丹生611
アクセスJR米原駅から車で約15分
電話番号0749-54-2567(インフォメーション:石久仏壇店)
URLhttps://tonton-craft.com/ja
※「職人に学ぶ工芸体験」は予約制です。

※記事中の商品・サービスに関する情報などは、記事掲載当時のものになります。詳しくは店舗・施設までお問い合わせください。